醜くないよ
自分のことを愛してくれなかった親へ、正直な気持ちを綴ることのどこが「醜い」のか、私には皆目わかりません。
これこそ、「親は絶対」だとして、虐待を肯定することにつながっていると思います。
親は聖人ではありません。
血がつながっていようがいまいが、自分より力も弱く権力も財力もなく、庇護下に置かれなければならない立場の子どもを、平気で虐待しうる存在でもあるのです。
聖人ではなく、子どもを平気で辛い目に遭わせる「親」でも、まだ敬わなければなりませんか?
「親」というだけで神聖視するのは、もうやめにしませんか。
私は、自分を常に辛い立場に追いやって救ってもくれない人を「親」と思わなくていいと思います。
そして、その感情や事象について、「醜い」とは思いません。
極めて正常なことだと思います。
嫌なことをされてきて、どうして嫌ったらダメなのでしょうか。
その理由が「親だから」だとしたら、それは極めて非合理的だと思います。
私はやはり、女優・渡辺えりさんのお考えの方が受け入れられると思います。
虐待をされてきて、辛い思いをしたことをようやく吐き出せて、それを「醜い」と表現されたら、もう気持ちの逃げ場がなくなります。
親のことは、嫌っていいんです。
それは「醜い」ことでも何でもない。
極めて正常で、至って普通、当たり前のことなんです。
何度でも言います。
嫌な親を好きになる必要なんてないです。
愛情をくれなかった親を嫌いになることを「醜い」と表現する人の方こそ、「醜い」。
私は心からそう思っています。