『愛を乞うひと』
ドラマ版が放映されたことを知り、敢えて映画版の『愛を乞うひと』を見ました。
主演は原田美枝子さんで、母・陳豊子役と娘・山岡照恵役の二役を全くの別人のように、見事に演じ分けていらっしゃいます。
物語は、豊子と幼少期の照恵の別れのシーンから始まり、以降は大人になった娘・照恵の目線で進んでいきます。
夫と死別し、シングルマザーとして一人娘の深草を育てている照恵は亡くなった台湾出身の父・文雄の遺骨を探して奔走します。
その中で長年音信不通だった弟・武則と再会し、照恵は母との過去の記憶をひとつひとつ思い出していきます。
詳細は実際に映画を見ていただくこととして、この映画では、幼い照恵に激しい折檻を加え、虐待する原田さんの体当りの演技が話題となり、高く評価されました。
私は、過去に映画『鬼畜』を見た際にも、子どもに折檻を加える岩下志麻さんの演技に、釘付けになりました。
詳細は、過去記事参照。
今回も、折檻のシーンでやはり母の姿を見つけ、またもや懐かしい気持ちになりました。
特に布団たたき(?)で照恵が豊子に滅多打ちにされるシーンは、全く同じことをされたことがあるのを思い出したとともに、布団たたきを使うのは普遍的なんだなぁ、なんて思ってしまいました。
また、折檻の恐怖で吐いてしまった照恵に豊子が辛く当たるシーンも、私も吐いてしまったらよく両親から「飲み込め!!」と怒号が飛んできたのを思い出しました。
他にも、折檻シーンは『鬼畜』と同じく、懐かしい光景のオンパレードでした。
違ったのは、私は両親から同じような目に遭っていたこと、
そして『愛を乞うひと』では長子の照恵だけが折檻され、次子である弟の武則は無被害なのですが、
私の場合は、長子が無被害で次子である私だけが辛く当たられていたことです。
また、映画の中で照恵は豊子が加えた折檻により、額に傷が残ったり、日々満身創痍だったりします。
私の場合は、そこまで酷い折檻は受けていません。
せいぜい赤く腫れる程度で、身体に物理的な傷が残ってはいません。
ただ、映画の中で照恵が豊子に言われるように、
- お前(私の場合は、“アンタ”)なんか生みたくなかった
- しょうがなくて生んだ
- 可愛くない
という言葉は、毎日のように言われていました。
実際に、母からは「アンタのことを可愛いと思ったことは一度もない」と言われ、よく叩かれたり、紐でぐるぐるに縛られて押し入れに入れられたりしていました。
両親から叩かれた身体の痛みと傷は、いつかは消えます。
しかし、両親から言葉によって受けた心の傷とその痛みは、今に至るまで癒えてはいません。
幼い照恵が、亡くなった実父に「迎えに来てほしい」と救いを求めるように、幼いころの私も、長子との待遇の差に「私の本当の両親は別のところにいるのだ」、「今いる両親とは血がつながっていないのだ」と信じていました。
ーー実際には、しっかりと血がつながっていて、心底驚いたのですが。
近所の小母さま方も、そんな私の様子を見かねて、「長子との待遇差はあんまりではないのか」と何度か両親を諫めてくれたことがあります。
しかし結局、両親の態度が変わることはありませんでした。
実は幼少期に別の土地へ引っ越しましたが、小母さま方の中のひとりは、周りの目が届かなくなることを心配し
「あなたがちゃんと元気に過ごしているのか、確認しに来るからね」
と言ってくださった上に、本当に何度か会いに来てくださいました。
会いに来てくださった際には、両親にわからぬよう「大丈夫?」と細かく日々の様子を聞いてくださって、わが子のように心配していただきました。
映画の中で、父の遺骨をようやく発見した照恵は、勇気を出して娘・深草と共に母・豊子に会いに行く決心をします。
照恵が素性を明かさぬまま、豊子に前髪を切ってもらうシーン、やはり娘であることを告げられなかったものの、やっとの思いで「お元気で」と豊子に告げるシーンの原田さんの演技は、言葉は少ないものの、視線だけで巧みに感情が表現されており、本当に心に迫るものがあります。
豊子も、娘・照恵であることに気付きつつも、何も告げず見送ります。
母娘の今生の別れの後、帰りのバスの中で、
やっと母さんにさよならが言えた
と母・豊子への慕情を必死で断ち切り、
母さんに、「お前のことが可愛いよ」と言ってもらいたかった
と吐露する照恵に、深草が「お母さん可愛いよ」と言い、照恵が泣きだしてしまうシーンでは、私も涙が落ちてきました。
ぽとぽと、ぽたぽた、たくさん涙が落ちてきて、止められませんでした。
私も、一度でいい、母に「可愛いよ」と言ってもらいたかった。
この映画を見て、『愛を乞うひと』とは一体誰なのだろうと考えました。
きっとそれは豊子であり、照恵であり、文雄であり、武則であり、そして観客である私なのだろう、と思いました。
皆さんは、どうお感じになるでしょうか。