母がしんどい

親子関係(特に母娘関係)って難しい。無条件に子を愛せる母親ばかりではないし、親からの愛情は無条件に注がれるものでもない。どうして母娘関係は上手く行かないことが多いのか。母の過去の行動から「母娘関係」の分析を試みます。

夏が来れば思い出す

…のは、私の場合ははるかな尾瀬ではないのです。

 

あ、どうも。

2年半ほどもここを留守にしていました。

その間、本当に色々なことがあり、良かったことも良くないことも過去形・現在形でさまざまに存在しています。

その経験のどれもがきっと、普通の親のもとに生まれ普通の家庭で育っていたら経験しなかったであろうことが原因の根底にはありますが、仕方がない。

 

私は、幸か不幸か、普通の親の元で普通に育つことが叶わなかった。

それだけです。

 

さて、猛暑もひと段落…かと思いきや、まだまだ残暑が厳しいですね。

外に出るとたちまち汗が湧いて出る、という日もまだまだあります。

 

夏の暑い日に、必ず思い出してしまう昔のことがあります。

これもまた、私にとって決して良い思い出ではないので余計に思い出してしまうのですが。

 

小さいころから現在に至るまで私はあせも体質で、汗をかく季節になると必ず酷いあせもや脂漏性湿疹に悩まされていました。

しかし、(察しの良い方はお分かりのように)私の両親は当然、それに対して何のケアもしてくれませんでした。

 

汗をよくかく夏の季節になっても、一日のうちにシャワー等で身体を清潔にしてよいのは、夜の入浴時の一度だけ。

同じく、汗をかいてどんなに気持ちが悪くても、一日のうちで衣服や下着を換えてよいのは夜の入浴時のみ。

そのほかには、どれだけ汗をかいて不快でありどれだけ身体がかゆくても、入浴して身体を清潔にしたり、衣服や下着を換えて不快感を減らすことは許されていませんでした。

そのため、私の身体中のあせもは見るも悲惨な状態で、身体中痒くて仕方がありませんでした。

 

身体を搔きむしり、血まみれでかさぶただらけ、皮膚がただれて湿疹まみれの私を見て両親が放ったのは、

「臭い」

「汚い」

という罵りと嘲りの言葉だけです。

心配してもらったことは一度もありません。

もちろん、病院に連れて行ってもらったこともありません。

 

そのため、少ないお小遣いを貯め、それを握りしめて自宅から自転車で何十分もかかる薬局に行き、あせも用市販薬を買っていました。

本当によく効いてお気に入りだった市販薬があるのですが、気まぐれに調べてみたところどうやら生産終了品で、今となっては決して手に入らない一品となっていました。

大人になった今、感謝の意味も込めてもう一度買ってみたかったなと思っています。

 

さて、今考えても、あせもと湿疹に苦しみ泣いて痒がる子どもを目にして、なぜ両親が何のケアもしてくれなかったのかは理解しようもありません。

下着を何枚か換えることによって、洗濯の手間が増えるのを嫌ったのでしょうか。

シャワーを浴びることによって、水道代やガス代が増えることを嫌ったのでしょうか。

 

そのどれもが、今考えてみると些細なことです。

しかし、それすら私にはさせる価値がないし、たとえ些細な金額でもかけるお金もないと両親は考えていたのだと思います。

今振り返ってみても、小さかった私はよくこの仕打ちに耐えたと思います。

可能であれば、小さい私を「よく頑張ったね」と褒めてあげたい、そう今の私も思っています。

 

大人になり、夏が来るたびにこのことを胸の痛みとともに必ず思い出します。

そのうえで、今では汗をかけば気にせず何度でも着替えができること、

汗をかいて不快であれば何度でもシャワーを浴びられる自由があることを

心の底から幸せだと感じ、同時に言いようもなく嬉しくなります。

 

そして、そんな自分に、もう

「臭くないよ」

「汚くないよ」

と心の中で声をかけ、今も私の中にいる傷ついた小さい私を何とか救おうとしています。

 

それだけではありません。

私は、小さい自分が過去に経験したこととして、この体験を今、ここで記すことができています。

でも、現在この瞬間も、同じ思いをして心身を痛めている人が必ずどこかにはいる。

そう思いを至らせて、本当にいてもたってもいられなくなります。

 

どこかでそんな人を救えないだろうか。

私に何かできる支援はないだろうか。

そう考えます。

 

私が抜け出せたように、今苦しいあなたもきっと抜け出せる。

そう信じています。

でも、私がそうであったように、今が苦しいのに先のことなんて考えられるはずもないんです。

そんな人たちに、どういうかたちで手助けができるのだろう。

 

私の新しい挑戦はそこにあると思い、できることを考えています。

 

ここを読んでくださっている、今苦しんでいる方も、決してあきらめないでください。

辛くても近くに相談できる人もいないのなら、匿名コメントで気持ちを吐露してくださっても構いません。

もしよかったら、まずは気持ちを打ち明けてみませんか。

 

小さかった私が今そうであるように、楽になれる日は必ず来ると信じています。

お久し振りです

前回の記事を更新してから丸一年以上、ここには戻って来ませんでした。

面白いのは、その間、私の状況がまるで変わっていないということです。

正確に言えば、より悪い方向へと進んでしまっているかもしれません。

2018年11月の私も、2020年3月の私も、変わらず苦しい。

私って学ばない人間ですね。

人生が安定していないのを日々感じています。

 

でも、私は幸せになりたいという気持ちはまだ捨てていません。

幸せに、普通に過ごしたいのです。

その普通が、私にとっては一番難しいのですけれども。

 

私はたまたま、あまり普通ではない両親の、あまり普通ではない家庭に生まれて育ってしまいました。

とはいえ空腹に泣いたことはないし、惨めではありましたが不幸だったとは思っていません。

でも、幸福感とは縁遠い人生を歩んでしまっています。

しかし、同じような環境にいて、きちんと幸せになっている方がたくさんいらっしゃるのです。

私も、そうなりたいと願っています。

 

普通でいいんです。

生きていてもいいんだと思えて、毎日平和に生活ができて、たまに美味しいものを食べられて、美しい景色を見に行けたら。

それが、私にはずっと、手の届かない特別で贅沢なことです。

 

もっと努力をしなければ。

それはわかっています。

でも、頑張って報われたことが無いので、もう頑張る気力と根拠すら持ち合わせていないのです。

 

頑張らない。

幸せになる。

 

このふたつって、果たして両立するのでしょうか。

私にはまだわかりません。

 

やってみる価値はあると思っています。

私は幸せになりたいです。

痕跡を消す

今、人生最大の岐路に立たされている私ですが、不思議と悲壮感はありません。

きっと、人様から見ると悲惨すぎて惨めすぎて、救いようのない状態だとは思います。

しかし私は、自由の味を初めて味わっている感覚なんです。

 

誰にも告げず、知らせず、ひっそりと息をひそめて暮らす日々ではあります。

でも、私は自由で幸せです。

 

そして今、私は自分の痕跡をひとつひとつ消す作業に着手しました。

少しずつ、少しずつ…。

一度にしてしまうと不自然になってしまうので、あくまでゆっくりと。

 

直接交流のある人たちとのつながりも、徐々にフェードアウトしています。

最終的にはアカウントごと消去する予定ですが、時間をかけて進めるつもりです。

 

しかしこのブログは、細々と残そうかと思っています。

誰にも知られずひっそりと続けているので、直接の知り合いも誰もこのブログの存在は知りませんし。

 

こう綴ると、ネガティブに捉えられてしまうでしょうか。

でも私にとっては、とてもポジティブで明るい出来事であることに間違いありません。

 

私の明日は、間違いなく今日より明るく素晴らしい。

日々そう思っています。

誰にも頼らない

随分とここをお留守にしていました。

その間、私の環境は目まぐるしく変わり、今は人生最大の岐路に立たされています。

 

誰にも頼らない。

 

というか、

 

誰にも頼れない。

 

その環境の中、私がこの先どのようにこの困難を乗り越えていくのか。

果たして、乗り越えて行けるのか。

 

それは、私にもわかりません。

 

でも、私には幸せになる権利がある。

身寄りがなくても、幸せになろういう希望だけは捨てずに過ごしていくつもりです。

「毒親」

「毒親」という言葉自体を知ったのは、結構前になるかと思います。

とはいえ、本当の意味を知ったのは最近のことです。

それまでは何となく、毒親とは「服がいつも汚れていたり、いつもお腹を空かせているなど、第三者が見てすぐにわかる虐待」をする親のことだ、と思い込んでいました。

この私自身の勝手な解釈で、私の親は「毒親」ではない、と長らく思い込んでいたのです。

 

私の場合、子ども時代に空腹に困った記憶はありません。

確かに、裕福ではない家庭に育ちましたが、巷で話題になるような、学級費や給食費の滞納をされたこともありません。

だから私は、ちょっと変わっていはいるけれど、ごく普通の家庭に育ったのだ、と思っていたのです。

 

しかし、結構最近になって、子ども時代のことを人に話していて、「本当に毒親だなぁ!」と言われてようやく、え?!これって毒親なの?!と気付いたのです。

 

私の子ども時代は、「新しいお母さん」がいつ来るのか、本当に毎日楽しみにしていたのが印象に残っている記憶です。 

oyasumimizuku.hatenadiary.com

上記記事でも書いていますが、「新しいお母さん」が来るんだよ!と喜び勇んで近所の方々に触れ回っていました。

 

小さい頃の両親の記憶といえば、よく言い争っている姿です。

そして、特に母からは

  • 早く離婚して自由になりたい
  • アンタは邪魔だから置いて行く、要らない
  • アンタは施設に預ける
  • アンタは施設で育てばいいんだ

と頻繁に言われており、幼心に「ああ、私はどこか知らない場所に行かされるのだな」「長子は母のお気に入りだから、連れて行ってもらえるんだな」と思って育ちました。

 

でも不思議と、幼かった私に悲壮感はなかったのです。

 

日常生活自体が、この頃から既に歪なもので、毎日毎日、「顔も見たくない」と母に家の外に締め出されて、長時間ひとりで、もしくは近所の小母さま方のお家にご厄介になる生活でした。

ですから、「どこか知らない場所」に行かされたとしても、今とあまり変わらない生活だ、と幼心に思っていました。

ただ、優しかった近所の小母さま方や、好きでよく見に行っていた近所の飼い犬たちには会えなくなるんだなぁ…と思っただけでした。

 

私の育った家庭では、常に厳格な序列があり、

  • 父親(逆らうことは許されない絶対的存在)
  • 長子(最も尊重されるべき子ども)
  • 母親(小間使い)
  • 私 (奴隷、存在しない存在)

で、私は常に最下位に置かれていました。

 

そして、両親からは常に「育ててやっているのだ、感謝せよ」と、感謝を強要されて育ちました。

私にとって「親」という存在は、子どもに何かをしてくれる存在ではありませんでした。

私の育った家庭では常に、「子どもは、親のために働き何かをしてあげ、親のために役に立たなければならない存在」だ、と繰り返し刷り込まれていました。

 

ですから、学校に通うようになって「雨が降っているから親が迎えに来てくれるって」と言っている同級生のことが、不思議でたまりませんでした。

逆じゃないの、と。

「雨が降っているから、親のために迎えに行かなくちゃ」じゃないの???と、本当に不思議でした。

 

私の家では、「他人の家に遊びに行くこと」は厳しく禁じられていました。

(近所の小母さま方のお家に長時間お邪魔していたことは、小母さま方は誰ひとり、私の親に告げることはありませんでした。親は幼い私が長時間、ひとりで外で遊んでいたと現在でも思っているはずです。)

しかし極たまに、「どうしても遊びに来てほしい」と言われて断れず、恐る恐る遊びに行ったことが、数回ありました。

 

お友達のお家に遊びに行くと、その家のお母さまが飲み物やおやつを準備してくださったり、そのお友達が親しげにお父さまと談笑をしているのも、不思議でたまりませんでした。

「なぜ友達は、親の世話をしなくて良いのだろう」

「親の世話をしなくて、友達は私が帰った後で酷く叱られるんじゃないか」

そう気が気じゃなくて、お友達のお家に招いていただいても、10分もいるとそわそわしてしまい、すぐにお暇していました。

「え?!来たばかりなのにもう帰るの???」と毎回言われていましたが、私にとっては、その十数分間、親の世話をしなかった友達が後でどんな懲罰を受けるのか、それが気がかりでなりませんでした。

 

大きくなってから、「親」とは子どもに世話をされる存在ではない…らしいことを知りました。

しかし私の育った家庭では、現在でも「子どもは、親のために働き何かをしてあげ、親のために役に立たなければならない存在」です。

 

世間一般の「親」って、子どもに色々なことを“してくれる”存在なんだ、と頭ではわかっていますが、正直、いまだに信じていません。

そんなに温かい存在って、家庭内に本当に実在するものなのでしょうか。

 

こう考えてようやく、「ああ、私は毒親持ちなんだな」と気付くに至りました。

多分私は、長い間ずっと、自分の親は世間一般で言う「普通」で「まとも」な親だ、と思いたかったのだと思います。

 

これからは、「毒親」のもとで育ったことにも、ちゃんと向き合って生きていきたいと思っています。

「殺してやらないかん」

headlines.yahoo.co.jp

 

何もかもが私と似ていて、思わず“未来記事”かしらと目を疑ってしまいました。

私、全く同じことを小さい頃から現在に至るまで言われ続けています。

子どもの頃は、まだ「本当に行動に移すことはないだろう」と思っていましたが、ここ数年はそうとも思えなくなって来ました。

所謂「理性」(衝動へのブレーキをかける脳の機能)を司る前頭葉って、加齢と共に萎縮していくらしいです。

「キレる老人」ってよく話題になりますが、高齢者って前頭葉が委縮しているから衝動的になりやすく、カッとなってもその感情にブレーキがかからないので、すぐ暴力をふるったり暴言を吐くのだそうです。

 

私も、次に実家に帰ることがあったら、本当にやられてしまうんだろうな…という予感がしています。

それか、私が返り討ちにしてしまうか。

でもきっと相手は、この記事の父親と違って、自分に都合の良い言い訳をして罪を逃れ、私だけが「極悪非道の娘」として糾弾されるのでしょうね。

外面だけは天才的に良くて、私が他の誰かに話しても、誰も信じてくれませんから。

「私は絶対許さない」

ずっと気になっている本と映画があります。

雪村葉子氏の「私は絶対許さない」です。

私は絶対許さない <新装版>

私は絶対許さない <新装版>

 

 今年(2018年)には、映画化もされています。

watashihazettaiyurusanai.com

 

何かの記事でちらっと紹介されていたのをきっかけに興味を持ちましたが、書籍はまだ入手できていません。

以下は、書籍の内容を紹介した記事です。

www.excite.co.jp

『私は絶対許さない 15歳で集団レイプされた少女が風俗嬢になり、さらに看護師になった理由』の著者が語る加害者への復讐の方法 | ダ・ヴィンチニュース

 

本書の大まかな内容は上記記事で伺い知ることはできると思いますが、刺激的で、読み手にとってキャッチーな部分だけ切り取って記事化されていると思うので、やはりきちんと書籍を入手して読まなければ…と思いつつ、もうだいぶ長い時間が経ってしまっています。

(ただ上記記事でも驚かされるのは、東北の田舎町で、加害者である男たちが大麻とおぼしきものに興じていた、と描写があるところです。現在アラフォーである雪村さんが被害に遭われたのは、今から二十数年前。その頃から、私の想像以上に、薬物汚染は日本で広まっていたのでしょうか。これも、看過できないとことだと思います。)

 

私が本書に興味を抱いたのは、筆者の雪村さんと同世代であること、そして家庭・生育環境が似ていることからです。

というか、自分の分身のように感じてしまっている部分があります。

ただ一点、雪村さんと私が違うのは、私は幸運にも雪村さんが遭われたような被害に遭うことが無かった、だから性への捉え方も異なり、後の人生で性行為への対価として金銭を結びつけることが無かった、ということ。

その他の点では、例えば男性に対する考え方などはかなり近しいものがあるなぁと、雪村さんのインタビュー記事を読んで感じています。

上記記事中にもありますが、雪村さんは自分の身体を男性に差し出し、自分の身体の魅力で男性を虜にすることを通じて男性に復讐をしようとしている。

対する私はその真逆にいるだけだと思うのです。

 

正反対のものって、全く違うように見えて、実は似ている。

そういうことって多いと思いませんか。

 

私の関心は常に、マイノリティの方々にあります。

こう言ってしまうと、「じゃあ、自分はマジョリティのつもりなのか」とお叱りを受けそうですが、私自身は、自己をマイノリティにカテゴライズしたらいいのか、それともマジョリティにカテゴライズしていいのか、良くわかっていません。

ある部分ではマイノリティであって、ある部分ではマジョリティであると認識しています。

(大部分の方はそうかもしれませんよね、思想的にも、属する社会環境的にも。)

そんな私の関心事は、自分と対極にあるようでいて、本質的なところで実はそっくりなんじゃないかと思っている、性産業に従事する女性です。

 

インタビューなどで語られる彼女たちの生育環境は、私とそんなに変わらない。

なのに、どうして私は性産業に従事することを選ばず、彼女たちはそれを選んだのか。

いや、私だって、(需要さえあれば)これから性産業に従事することを決して選ばないと言い切れるのだろうか。

彼女たちは、日本の“闇”や“暗部”として語られることが多いように思いますが、そんなことは全然なく、取り立てて私たちと変わらない、ごく普通の存在なのです。

全く違うように見えて、実は分身のように私に似ている彼女たちには、常に深い関心を注いでいます。

 

私の分身たちを性産業へと駆り立てるものは何なのだろう。

昔は、金銭面で仕方なく、というのが多かったのではないかと思いますが、最近ではそうとも言えなくなっているようです。

一流大学と言われる大学に通い、人も羨む素晴らしい生育環境にいるにも関わらず、「職業選択」の一環として性産業を選択するという現象も生じていると聞き及びます。

 

それを理解するためにも、本書は是非読んでみなければと思っています。

 

ただ、映画は見る勇気がないかもしれません、とても残念に思いますが。