母がしんどい

親子関係(特に母娘関係)って難しい。無条件に子を愛せる母親ばかりではないし、親からの愛情は無条件に注がれるものでもない。どうして母娘関係は上手く行かないことが多いのか。母の過去の行動から「母娘関係」の分析を試みます。

痕跡を消す

今、人生最大の岐路に立たされている私ですが、不思議と悲壮感はありません。

きっと、人様から見ると悲惨すぎて惨めすぎて、救いようのない状態だとは思います。

しかし私は、自由の味を初めて味わっている感覚なんです。

 

誰にも告げず、知らせず、ひっそりと息をひそめて暮らす日々ではあります。

でも、私は自由で幸せです。

 

そして今、私は自分の痕跡をひとつひとつ消す作業に着手しました。

少しずつ、少しずつ…。

一度にしてしまうと不自然になってしまうので、あくまでゆっくりと。

 

直接交流のある人たちとのつながりも、徐々にフェードアウトしています。

最終的にはアカウントごと消去する予定ですが、時間をかけて進めるつもりです。

 

しかしこのブログは、細々と残そうかと思っています。

誰にも知られずひっそりと続けているので、直接の知り合いも誰もこのブログの存在は知りませんし。

 

こう綴ると、ネガティブに捉えられてしまうでしょうか。

でも私にとっては、とてもポジティブで明るい出来事であることに間違いありません。

 

私の明日は、間違いなく今日より明るく素晴らしい。

日々そう思っています。

誰にも頼らない

随分とここをお留守にしていました。

その間、私の環境は目まぐるしく変わり、今は人生最大の岐路に立たされています。

 

誰にも頼らない。

 

というか、

 

誰にも頼れない。

 

その環境の中、私がこの先どのようにこの困難を乗り越えていくのか。

果たして、乗り越えて行けるのか。

 

それは、私にもわかりません。

 

でも、私には幸せになる権利がある。

身寄りがなくても、幸せになろういう希望だけは捨てずに過ごしていくつもりです。

「毒親」

「毒親」という言葉自体を知ったのは、結構前になるかと思います。

とはいえ、本当の意味を知ったのは最近のことです。

それまでは何となく、毒親とは「服がいつも汚れていたり、いつもお腹を空かせているなど、第三者が見てすぐにわかる虐待」をする親のことだ、と思い込んでいました。

この私自身の勝手な解釈で、私の親は「毒親」ではない、と長らく思い込んでいたのです。

 

私の場合、子ども時代に空腹に困った記憶はありません。

確かに、裕福ではない家庭に育ちましたが、巷で話題になるような、学級費や給食費の滞納をされたこともありません。

だから私は、ちょっと変わっていはいるけれど、ごく普通の家庭に育ったのだ、と思っていたのです。

 

しかし、結構最近になって、子ども時代のことを人に話していて、「本当に毒親だなぁ!」と言われてようやく、え?!これって毒親なの?!と気付いたのです。

 

私の子ども時代は、「新しいお母さん」がいつ来るのか、本当に毎日楽しみにしていたのが印象に残っている記憶です。 

oyasumimizuku.hatenadiary.com

上記記事でも書いていますが、「新しいお母さん」が来るんだよ!と喜び勇んで近所の方々に触れ回っていました。

 

小さい頃の両親の記憶といえば、よく言い争っている姿です。

そして、特に母からは

  • 早く離婚して自由になりたい
  • アンタは邪魔だから置いて行く、要らない
  • アンタは施設に預ける
  • アンタは施設で育てばいいんだ

と頻繁に言われており、幼心に「ああ、私はどこか知らない場所に行かされるのだな」「長子は母のお気に入りだから、連れて行ってもらえるんだな」と思って育ちました。

 

でも不思議と、幼かった私に悲壮感はなかったのです。

 

日常生活自体が、この頃から既に歪なもので、毎日毎日、「顔も見たくない」と母に家の外に締め出されて、長時間ひとりで、もしくは近所の小母さま方のお家にご厄介になる生活でした。

ですから、「どこか知らない場所」に行かされたとしても、今とあまり変わらない生活だ、と幼心に思っていました。

ただ、優しかった近所の小母さま方や、好きでよく見に行っていた近所の飼い犬たちには会えなくなるんだなぁ…と思っただけでした。

 

私の育った家庭では、常に厳格な序列があり、

  • 父親(逆らうことは許されない絶対的存在)
  • 長子(最も尊重されるべき子ども)
  • 母親(小間使い)
  • 私 (奴隷、存在しない存在)

で、私は常に最下位に置かれていました。

 

そして、両親からは常に「育ててやっているのだ、感謝せよ」と、感謝を強要されて育ちました。

私にとって「親」という存在は、子どもに何かをしてくれる存在ではありませんでした。

私の育った家庭では常に、「子どもは、親のために働き何かをしてあげ、親のために役に立たなければならない存在」だ、と繰り返し刷り込まれていました。

 

ですから、学校に通うようになって「雨が降っているから親が迎えに来てくれるって」と言っている同級生のことが、不思議でたまりませんでした。

逆じゃないの、と。

「雨が降っているから、親のために迎えに行かなくちゃ」じゃないの???と、本当に不思議でした。

 

私の家では、「他人の家に遊びに行くこと」は厳しく禁じられていました。

(近所の小母さま方のお家に長時間お邪魔していたことは、小母さま方は誰ひとり、私の親に告げることはありませんでした。親は幼い私が長時間、ひとりで外で遊んでいたと現在でも思っているはずです。)

しかし極たまに、「どうしても遊びに来てほしい」と言われて断れず、恐る恐る遊びに行ったことが、数回ありました。

 

お友達のお家に遊びに行くと、その家のお母さまが飲み物やおやつを準備してくださったり、そのお友達が親しげにお父さまと談笑をしているのも、不思議でたまりませんでした。

「なぜ友達は、親の世話をしなくて良いのだろう」

「親の世話をしなくて、友達は私が帰った後で酷く叱られるんじゃないか」

そう気が気じゃなくて、お友達のお家に招いていただいても、10分もいるとそわそわしてしまい、すぐにお暇していました。

「え?!来たばかりなのにもう帰るの???」と毎回言われていましたが、私にとっては、その十数分間、親の世話をしなかった友達が後でどんな懲罰を受けるのか、それが気がかりでなりませんでした。

 

大きくなってから、「親」とは子どもに世話をされる存在ではない…らしいことを知りました。

しかし私の育った家庭では、現在でも「子どもは、親のために働き何かをしてあげ、親のために役に立たなければならない存在」です。

 

世間一般の「親」って、子どもに色々なことを“してくれる”存在なんだ、と頭ではわかっていますが、正直、いまだに信じていません。

そんなに温かい存在って、家庭内に本当に実在するものなのでしょうか。

 

こう考えてようやく、「ああ、私は毒親持ちなんだな」と気付くに至りました。

多分私は、長い間ずっと、自分の親は世間一般で言う「普通」で「まとも」な親だ、と思いたかったのだと思います。

 

これからは、「毒親」のもとで育ったことにも、ちゃんと向き合って生きていきたいと思っています。

「殺してやらないかん」

headlines.yahoo.co.jp

 

何もかもが私と似ていて、思わず“未来記事”かしらと目を疑ってしまいました。

私、全く同じことを小さい頃から現在に至るまで言われ続けています。

子どもの頃は、まだ「本当に行動に移すことはないだろう」と思っていましたが、ここ数年はそうとも思えなくなって来ました。

所謂「理性」(衝動へのブレーキをかける脳の機能)を司る前頭葉って、加齢と共に萎縮していくらしいです。

「キレる老人」ってよく話題になりますが、高齢者って前頭葉が委縮しているから衝動的になりやすく、カッとなってもその感情にブレーキがかからないので、すぐ暴力をふるったり暴言を吐くのだそうです。

 

私も、次に実家に帰ることがあったら、本当にやられてしまうんだろうな…という予感がしています。

それか、私が返り討ちにしてしまうか。

でもきっと相手は、この記事の父親と違って、自分に都合の良い言い訳をして罪を逃れ、私だけが「極悪非道の娘」として糾弾されるのでしょうね。

外面だけは天才的に良くて、私が他の誰かに話しても、誰も信じてくれませんから。

「私は絶対許さない」

ずっと気になっている本と映画があります。

雪村葉子氏の「私は絶対許さない」です。

私は絶対許さない <新装版>

私は絶対許さない <新装版>

 

 今年(2018年)には、映画化もされています。

watashihazettaiyurusanai.com

 

何かの記事でちらっと紹介されていたのをきっかけに興味を持ちましたが、書籍はまだ入手できていません。

以下は、書籍の内容を紹介した記事です。

www.excite.co.jp

『私は絶対許さない 15歳で集団レイプされた少女が風俗嬢になり、さらに看護師になった理由』の著者が語る加害者への復讐の方法 | ダ・ヴィンチニュース

 

本書の大まかな内容は上記記事で伺い知ることはできると思いますが、刺激的で、読み手にとってキャッチーな部分だけ切り取って記事化されていると思うので、やはりきちんと書籍を入手して読まなければ…と思いつつ、もうだいぶ長い時間が経ってしまっています。

(ただ上記記事でも驚かされるのは、東北の田舎町で、加害者である男たちが大麻とおぼしきものに興じていた、と描写があるところです。現在アラフォーである雪村さんが被害に遭われたのは、今から二十数年前。その頃から、私の想像以上に、薬物汚染は日本で広まっていたのでしょうか。これも、看過できないとことだと思います。)

 

私が本書に興味を抱いたのは、筆者の雪村さんと同世代であること、そして家庭・生育環境が似ていることからです。

というか、自分の分身のように感じてしまっている部分があります。

ただ一点、雪村さんと私が違うのは、私は幸運にも雪村さんが遭われたような被害に遭うことが無かった、だから性への捉え方も異なり、後の人生で性行為への対価として金銭を結びつけることが無かった、ということ。

その他の点では、例えば男性に対する考え方などはかなり近しいものがあるなぁと、雪村さんのインタビュー記事を読んで感じています。

上記記事中にもありますが、雪村さんは自分の身体を男性に差し出し、自分の身体の魅力で男性を虜にすることを通じて男性に復讐をしようとしている。

対する私はその真逆にいるだけだと思うのです。

 

正反対のものって、全く違うように見えて、実は似ている。

そういうことって多いと思いませんか。

 

私の関心は常に、マイノリティの方々にあります。

こう言ってしまうと、「じゃあ、自分はマジョリティのつもりなのか」とお叱りを受けそうですが、私自身は、自己をマイノリティにカテゴライズしたらいいのか、それともマジョリティにカテゴライズしていいのか、良くわかっていません。

ある部分ではマイノリティであって、ある部分ではマジョリティであると認識しています。

(大部分の方はそうかもしれませんよね、思想的にも、属する社会環境的にも。)

そんな私の関心事は、自分と対極にあるようでいて、本質的なところで実はそっくりなんじゃないかと思っている、性産業に従事する女性です。

 

インタビューなどで語られる彼女たちの生育環境は、私とそんなに変わらない。

なのに、どうして私は性産業に従事することを選ばず、彼女たちはそれを選んだのか。

いや、私だって、(需要さえあれば)これから性産業に従事することを決して選ばないと言い切れるのだろうか。

彼女たちは、日本の“闇”や“暗部”として語られることが多いように思いますが、そんなことは全然なく、取り立てて私たちと変わらない、ごく普通の存在なのです。

全く違うように見えて、実は分身のように私に似ている彼女たちには、常に深い関心を注いでいます。

 

私の分身たちを性産業へと駆り立てるものは何なのだろう。

昔は、金銭面で仕方なく、というのが多かったのではないかと思いますが、最近ではそうとも言えなくなっているようです。

一流大学と言われる大学に通い、人も羨む素晴らしい生育環境にいるにも関わらず、「職業選択」の一環として性産業を選択するという現象も生じていると聞き及びます。

 

それを理解するためにも、本書は是非読んでみなければと思っています。

 

ただ、映画は見る勇気がないかもしれません、とても残念に思いますが。

孤独への対処法

私は自他共に認める孤独な人間で、普段は感じないようにしていますが、時折孤独感に苛まれて手も足も出ない状況に陥ります。

現在もまさにその状況で、ひたすら部屋に閉じこもって布団の中にくるまって縮こまり、孤独の嵐が過ぎていくのをじっと待っています。

孤独への対処法って、私にとっては「慣れること」と「諦めること」、そして「耐えること」です。

誰にも、何も言えないこの状況に、慣れて・諦めて・耐える。

これさえすれば、何とかやり過ごせる。

そう思ってずっと生きてきました。

 

昔の記憶の話になりますが、そういえば私が最初に孤独を感じたのは、3歳くらいのことでした。

私が育った家庭では、長子のみが両親の関心と愛情を注がれる対象で、私は“いない存在”として扱われていました。

oyasumimizuku.hatenadiary.com

 

“安らげる場所”とは程遠かった家庭内で、私が唯一安心してホッとできる場所。

それは、当時住んでいた家の2階にあった畳敷きの部屋の隅に置かれた、段ボール箱の中でした。

 

その段ボール箱は、確か元々は掃除道具か何かを一時的に入れておいたものだったように記憶しています。

部屋の角と箪笥の間にぴったりと隙間なくちょうど良く置かれたその箱は、私にとってとても魅力的な場所でした。

入れられていた掃除道具が定位置を決められて箱が空になった後、母に家から追い出されない日はほぼ一日中、その中に入っていました。

 

箱の大きさは、小柄な3歳児が入って体育座りをしてちょうどぴったりな大きさだったと思います。

私はその箱の中に座っているのが、本当に大好きでした。

 

箱の内側にはお気に入りの動物のキャラクターシールを貼って、箱の中に座ってはそのシールの絵を、日が傾くまで何時間も見続けるのが大好きでした。

眠気が来たら、体育座りのまま背中を丸めて膝の上に頭を置いて、うつらうつらとするのが好きでした。

ハッと目が醒めたら大好きなシールの絵が視界に入り、嬉しくなったのを今でも覚えています。

 

その箱の中に座っている時間だけ、私は心からリラックスして、安心して落ち着けました。

サイズ感といい、部屋のまさに死角にある位置といい、その中に座っていると外部のあらゆるものから完璧に守られて、大きな安心感のようなものに包まれているような感覚がして、大のお気に入りでした。

ずっとこの箱の中にいたい、箱から出たくない、この箱の中でずっと暮らしたいと思っていました。

 

その箱の中で、私は色々なことを想像するのが好きでした。

その箱の中では、私は常に自由で、楽しくて、そして希望に満ちていました。

その箱に入ったまま何年も暮らした後のことを、幾度となく想像しました。

想像の中で、箱の中で暮らしていた私は、間違いなく幸せでした。

 

今、振り返ってみると、私はこの時に孤独との向き合い方を学んだように思います。

箱の中に入って、孤独に慣れて、諦めて、耐えれば、他の楽しいことを想像したら良い。

 

3歳の私も、今の私も、孤独とこのように付き合っています。

何も、ない

今日はちょっと趣を変えて、少し家族について綴ってみようと思います。

私には、ちょっと、いや大分変わった長子がいますが、良く考えてみると、私の両親もかなり変わっています。

 

というのは、皆さんは普通にご経験であろう、「お宮参り」や「七五三」など、節目の節句を一切しない家庭だったからです。

正確には、長子の時にはお宮参りや七五三のお祝いをした形跡(写真)が残っていますが、私には一切ない。

これについて、幼いころに母に尋ねたことがあります。すると「節句を祝うのは長子のみ。アンタはする必要がない」と回答されました。

 

ですから、小さい頃、今思えばちょうど七五三の時期に地元の大きな神社の近くを通った際、綺麗に着飾った自分と同じ年頃の子どもたちと、同じくお洒落をした親御さんたちの晴れやかな様子を見て、「いいなぁ」と思ったものでした。

あまりに羨ましそうに見ていたからでしょう、神社の巫女さんから「千歳飴」をいただいたこともあります。

 

私にとって、世の中に存在するあらゆるお節句は、本で読んだり「幼稚園で経験するもの」でした。

家庭内で経験したことはありません。

桃の節句のお雛さまも、幼稚園やお友達の家で見るもので、自宅にはありません。

 

あ、例外がありました。

それは、「クリスマス」です。

(あ、でもクリスマスは、節句ではありませんね。(^▽^;))

クリスマスだけは、ツリーを飾って部屋も飾り付けて盛大にお祝いしていましたが、その他の節句は何ひとつしたことがありません。

 

だから、いい歳になった今でも、良くわからない・知らない節句ばかりですし、子どもの節句に関連する思い出話にも、経験がないので加わることができません。

というか実は、子どもの頃の写真が私にはほぼありません。

あるのは、幼稚園で撮っていただいた写真くらいです。

入園以前の写真は、赤ちゃんの頃のが数枚あるだけで、その他はありません。

“普通の”ご家庭には子どもの写真のアルバムがあるそうですが、私にはありません。

 

私には、名実ともに、子ども時代の良い思い出が何も、ない。

(このブログに綴っているような、全く嬉しくない記憶なら、山のようにあるのですが。)

 

いつも思うことですが、現在子ども時代を過ごしているお小さい方々には、私と同じ思いをして欲しくないなぁと切実に思います。

後から何度も見返すことのできる、両親や育ててくださった方の愛情を感じることのできる写真だけでも、残る人生であって欲しいと願っています。