母がしんどい

親子関係(特に母娘関係)って難しい。無条件に子を愛せる母親ばかりではないし、親からの愛情は無条件に注がれるものでもない。どうして母娘関係は上手く行かないことが多いのか。母の過去の行動から「母娘関係」の分析を試みます。

しんどいです

もうずっとしんどくて、でもそれを吐き出せるような誰かもいなくて、限界が近くなっています。

まともな家庭に育ってみたかったとか、色々と思うことはあれど、私ももういい歳のBBAです。

何とか乗り越えなければ…、と言いつつ、これが本当に難しいのです。

だから、例えば食べ物を食べないですとか、逆にたくさん食べ過ぎるとかセルフネグレクトをして、憂さを晴らしたりしていますが、これも簡単にはいきません。

鏡に映るのは、以前に増して水分の抜けた髪をして、顔中吹き出物だらけの私です。

外出すら、気力も体力もなくてままなりません。

 

私は私を幸せにしてあげるために存在しているはずなのに

こんなことをしたいんじゃないのに

 

でも、私は私を赦してあげて、私自身を幸せにしたいです。

今まで、色々なことを親に諦めさせられてきた人生です。

自分自身の幸せすら、一度は諦めさせられました。

 

でもやっぱり、それだけは諦めたくない。

 

こんな私だけれども、存在を許されたい。

 

私だって、誰かに存在を肯定してもらえる日が来るかも知れない。

 

その望みを胸に、何とか這いつくばってやろうと思っています。

「嫌っていい」

ここ最近、また過去に悩まされることが多く、暴飲暴食や不規則な生活をして自分を痛めつけたりして、気を紛らわせる日々が続いてしまっています。

 

その中、衝撃を受けた記事がありました。

www.j-cast.com

 

個性的な演技で人気の実力派女優、渡辺えりさんが毎日新聞で連載中のコラムで、束縛の激しい母親のことを「嫌っていい」と回答された、というものです。

 

私は、

  • 親は絶対
  • 親には絶対服従
  • 親子(夫婦)関係は主従関係

という家庭に育ちました。

 

どんなに理不尽なことをされても言われても、親の言うことに異を唱えることなど、決して許されないし考えられない、と現在まで思い込まされてきました。

その、ある意味解けない“呪い”のような刷り込みを、渡辺えりさんはきっぱりと「違う」と否定して下さったのです。

 

考えてみれば、

  • アンタのことを可愛いと思えない
  • アンタのことはどうでもいい

と言ってくる相手のことを、無理に好きになる必要もなかったのです。

 

そうか、私は親のことを嫌っていいのだ。

 

愛してもらえないのに、こちらが無理に愛さなくてよいのだ。

 

「親を嫌う」ということを肯定してもらえるだけで、こんなに気持ちが楽になるものなのか、とまさに目から鱗が落ちるようでした。

 

これからは、「親にはこんなことをされて/言われてきた、だから嫌い」と、親を嫌う自分を受けいれて生きていきたいと思います。

 

「愛される」ということ

大分前なのですが、とても気になったニュースがありました。

ironna.jp

 

とても恵まれた家庭環境、教育歴、経歴なのに、なぜポルノ業界にいらしたのだろう…、ととても気になっています。

ご本人の著作を拝見したことが無いので、是非読んでみたいと思っています。

 

それにしても、

  • 何不自由なく、

しかも

  • 何の問題もない家庭に育ち、
  • 一流大学・大学院を出て、
  • 一流企業に勤めていらっしゃるのに、

どうして不特定多数に自分の性行為を見せる仕事をされていたのだろう…、

と考えていて、自分が偏見を持っていることに気付かされます。

 

逆に言えば、

  • 不自由があって、
  • 問題のある家庭に育って、
  • 高学歴でなく、
  • 高給でもない職業に就いている

としたら、ポルノ業界にいても特に疑問はない、と思っても仕方が無い、ということになるからです。

 

こういう偏見を持った自分を、とても恥ずかしく思います。

なぜならば、私こそ、上記の条件にぴったりと当てはまっている存在だからです。

でも、ポルノ業界とは縁遠い生活を送っています。

ということは、ポルノ業界で働いている女性も私も、大きくは違わない存在だとも言えます。

 

ポルノ業界で働く彼女たちと私の違いって、一体何なんでしょう。

 

何かのタイミングさえ合えば、私もポルノ業界で働いていた可能性は、大いにあるといえます。

 

だからこそ、

  • 両親が共に著名人で、
  • 円満な家庭で愛されて育って、
  • 一流大学・大学院を卒業し、
  • 一流企業の高給取り

であり、

ごく一般的な女性とは社会的にも経済的にも、恵まれ方が少し違うように感じるこの方が、

「不特定多数に自分の性行為を見せる」ことに、どのような意味付けをされていたのか、興味を覚えているのだと思います。

 

私はポルノビデオを見る機会がなく現在に至っていますので、ポルノビデオに出演している女性が実際に性行為をしているのか、それともそう見せかけているだけなのかは知りません。

しかし、不特定多数にそう見せかけるだけでも私個人には抵抗があり、(誰も求めていませんが)絶対にできそうにありません。

 

恵まれた環境から、この方はお金のためではなく、恐らく別の目的と価値観をポルノ業界に見出していらっしゃって、

だからこそ不特定多数に自分の性行為を見せるという仕事をしていらっしゃったのではないかと思うのです。

 

この方の記事を複数読んでいて、

逆恨みをした元カレに、出演作(ポルノビデオ)を両親に送りつけられた

とありました。

普通であれば、死をも覚悟するような一大事です。

 

しかし、著名な舞踏研究者でいらっしゃるお父さまは、

それでも娘に対する愛情に変わりはない

との反応だったそうです。

また、同じく著名な文学者でいらっしゃったお母さまとは、生前は対立もあったようですが、

いい娘を一人育てた、幸せだった

との言葉を残して、天国へと旅立たれたそうです。

 

私は、高学歴でも、一流企業勤務でも高給取りでもありません。

でも、少なくともポルノビデオへの出演経験はありません。

 

なのに、両親から、一度も愛情を注がれたことがありません。

「いい娘」と言われたことも、思われたこともありません。

第一、両親に私の存在を肯定されたことすらないのです。

 

私がもし、ポルノビデオに出演したことがあったとしたら…。

私の存在自体を常に疎んじてきた両親の反応は、考えなくともわかります。

 

私が両親から愛されるには、一体どうしたら良かったのだろう。

 

この方と自分との境遇を比較し、両親に「愛される」って一体どういうことなのだろう、との思いを深くしています。

親がしんどい

最近、また過去の記憶に苦しむことが多くなりました。

そこで気付いたのですが、私がしんどかったのは母だけではない。

父も酷く私を苦しめ続けています。

つまりは、親がしんどい。

 

親という存在は、一般的にはとても温かく優しく、頼れる存在なのだそうです。

しかしながら私にとっては、その様な存在ではありません。

どんなに困っても、助けてもらったことはありません。

現在に至っても常に私を突き放し、罵り、馬鹿にし、やる気を削ぐ存在であり続けています。

「家庭」という場所も、私にとってはリラックスとは程遠いところでした。

 

どうやったら、温かく優しく、そして頼れる親と家庭に出会えたのだろう。

 

もういい歳となった現在では、もはや出会いようもありません。

 

また、

「だったら、自分がそのような理想の親になって、理想の家庭を作ればいいじゃないか」

と思われる方もいらっしゃるでしょう。

 

しかし私には到底無理です。

きっと自分がされたように、わが子を突き放し、嘲り、罵り、やる気を削ぐ言葉ばかり投げつけてしまうかも知れない。

そう思うからこそ、怖くて家族を持つことなど、考えたことがありません。

 

どちらにせよ、もう子どもを持つことは諦めた年齢ですが、

負のスパイラルを私で断ち切ることができたのは、不幸中の幸いなのだ、

と思うようにしています。

おやつがわり

これを知ったのは割合最近のことなのですが、摂食障害って母娘関係に問題を抱えている人に罹患率が高いのだそうです。

確かに、摂食障害に悩む方には女性が多い気がします。

私の場合、摂食障害までは行きませんでしたが、ずっと食事を美味しいと思ったことがなく、フラフラになって身体がしんどいから仕方なく食べる、というのが食事の意味でした。

 

例えば、高校生から大学にかけては食べられないことが多く、常に真っ直ぐに歩けませんでした。

自分では真っ直ぐに廊下を歩いているつもりでしたが、気が付けば壁に身体を擦り付けながら歩いている、という状態でした。

太れませんでしたが、見た目にハッキリと目立って悲壮感が漂うほど痩せてはいませんでした。

でも、細い身体が好きで、もっともっと痩せて身体が無くなってしまいたい、とも思っていました。

やせ細っている身体こそ完璧で素晴らしい、と当時は本気で考えていました。

 

食事について、私が一番辛かったのは高校時代でした。

学力トップ校に在籍していましたので、毎日勉強へのプレッシャーが容赦なくありました。

毎日試験がありましたし、その試験に合格できないと、懲罰のようなものがありました。

同級生たちとも常に競争しなければなりませんでしたので、毎朝5時には起きて登校していました。

 

私は、朝早く起きて、誰にも邪魔されずにひとりで自由に使える時間が大好きでした。

他の家族が起きてくる前のつかの間の時間、ひとりで朝食と身支度を済ませて登校するのが理想でしたが、それを母は許してくれませんでした。

母本人にしてみれば、きっと早朝ひとりで娘が登校準備をするのは寂しかろう、との思いやりだったのかもしれませんが、私が起床して身支度を始める音を聞くや、母も起きてきて、毎朝父への不満を聞かされました。

 

正直、当時の私にしてみれば拷問のような時間でした。

 

それでなくとも、毎日が勉強へのプレッシャーとストレスでいっぱいいっぱいでした。

その上毎日、母から父への文句を聞かされるのです。

「うん…、うん…」と聞きながらも、なぜ父本人に言わないのか、と思っていました。

今思えば、母は父への不満があっても、離婚して(離婚されて)自分の力で生活しようという気概はなかったのだと思います。

ちょっと変わっているが母が可愛いがってやまない長子は、人の話を聞くタイプではありませんでした。

よって、母が自らの気を晴らすためには、私を不満のはけ口にせざるを得なかったのだと思います。

 

ただでさえ勉強への強いストレスに曝されていたのに、恐らく、当時の私の身体は耐えられなかったのだと思います。

気付けば、朝食はほとんど食べられなくなり、毎日酷い胃痛に悩まされるようになっていました。

 

“女子高生”という、最もキラキラして楽しいはずの時代が、私にはほとんどありませんでした。

胃の痛みで四六時中脂汗が出て、時にはうずくまってしまうほどで、お洒落なメイク道具の代わりに、缶に入った粉状の胃散薬を缶ごと持ち歩いては服用していました。

あの有名な胃散薬の一番大きい缶を持ち歩く、ある意味異常な“女子高生”でしたが、その大缶の胃散薬もすぐに飲み終えて、何缶も買い足しました。

すると当時、飴やラムネのようにチュアブルで服用できる胃薬が発売されました。

私はそのテレビCMを見るや薬局に買いに行き、缶よりも携帯性に優れたそのチュアブル胃薬を、それこそおやつがわりに毎日山のように食べていました。

しかし、それでも私の胃痛が治まることはありませんでした。

 

高校生だった私が朝食をほとんど食べなくなり、通学鞄に山ほど胃薬を持ち歩いていたことには母も気付いていたはずですが、何も言われたことがありません。

きっと、私の健康など心底どうでも良かったのだと思います。

山のように胃薬を持ち歩く娘を前に、母は変わることなく、毎日繰り返し、父への不満を聞かせました。

 

大学に入ってからも、メイクポーチには必ず胃薬が入っていました。

いい歳になってようやく、胃薬を持ち歩くことはなくなりましたが、今、またストレスで胃薬を飲み始めました。

昔とは逆で、今度は、胃がはち切れそうになるまで食べて、食べて、食べ続けてしまいます。

胃が痛くなると胃薬を飲み、少し痛みが引くとまた食べる、その繰り返しです。

高校生だった頃とは真逆で、醜く膨れ上がる身体を嫌悪しつつも、食べるのを止められません。

 

今の私は、高校生とは随分とかけ離れた年齢になりましたが、未だに変われていません。

また同じことの繰り返しです。

そんな自分を、許してあげたいのに許せずに苦しんでいます。

バケットリスト

「死ぬまでにしたい○○のこと」とよく聞きます。

私も何かないかなと考えていて、会いたい人ならいるなと思い当たりました。

 

私が会いたい人、それは

  • 兼高かおるさん
  • 黒柳徹子さん

です。

 

どちらも、小さい頃から憧れの存在です。

いつかお会いできることを夢見て、過ごしていきたいと思っています。

『愛を乞うひと』

ドラマ版が放映されたことを知り、敢えて映画版の『愛を乞うひと』を見ました。

愛を乞うひと [DVD]

愛を乞うひと [DVD]

 

主演は原田美枝子さんで、母・陳豊子役と娘・山岡照恵役の二役を全くの別人のように、見事に演じ分けていらっしゃいます。

物語は、豊子と幼少期の照恵の別れのシーンから始まり、以降は大人になった娘・照恵の目線で進んでいきます。

夫と死別し、シングルマザーとして一人娘の深草を育てている照恵は亡くなった台湾出身の父・文雄の遺骨を探して奔走します。

その中で長年音信不通だった弟・武則と再会し、照恵は母との過去の記憶をひとつひとつ思い出していきます。

詳細は実際に映画を見ていただくこととして、この映画では、幼い照恵に激しい折檻を加え、虐待する原田さんの体当りの演技が話題となり、高く評価されました。

私は、過去に映画『鬼畜』を見た際にも、子どもに折檻を加える岩下志麻さんの演技に、釘付けになりました。

詳細は、過去記事参照。

oyasumimizuku.hatenadiary.com

今回も、折檻のシーンでやはり母の姿を見つけ、またもや懐かしい気持ちになりました。

特に布団たたき(?)で照恵が豊子に滅多打ちにされるシーンは、全く同じことをされたことがあるのを思い出したとともに、布団たたきを使うのは普遍的なんだなぁ、なんて思ってしまいました。

また、折檻の恐怖で吐いてしまった照恵に豊子が辛く当たるシーンも、私も吐いてしまったらよく両親から「飲み込め!!」と怒号が飛んできたのを思い出しました。

 

他にも、折檻シーンは『鬼畜』と同じく、懐かしい光景のオンパレードでした。

違ったのは、私は両親から同じような目に遭っていたこと、

そして『愛を乞うひと』では長子の照恵だけが折檻され、次子である弟の武則は無被害なのですが、

私の場合は、長子が無被害で次子である私だけが辛く当たられていたことです。

また、映画の中で照恵は豊子が加えた折檻により、額に傷が残ったり、日々満身創痍だったりします。

私の場合は、そこまで酷い折檻は受けていません。

せいぜい赤く腫れる程度で、身体に物理的な傷が残ってはいません。

 

ただ、映画の中で照恵が豊子に言われるように、

  • お前(私の場合は、“アンタ”)なんか生みたくなかった
  • しょうがなくて生んだ
  • 可愛くない

という言葉は、毎日のように言われていました。

実際に、母からは「アンタのことを可愛いと思ったことは一度もない」と言われ、よく叩かれたり、紐でぐるぐるに縛られて押し入れに入れられたりしていました。

両親から叩かれた身体の痛みと傷は、いつかは消えます。

しかし、両親から言葉によって受けた心の傷とその痛みは、今に至るまで癒えてはいません。

 

幼い照恵が、亡くなった実父に「迎えに来てほしい」と救いを求めるように、幼いころの私も、長子との待遇の差に「私の本当の両親は別のところにいるのだ」、「今いる両親とは血がつながっていないのだ」と信じていました。

ーー実際には、しっかりと血がつながっていて、心底驚いたのですが。

近所の小母さま方も、そんな私の様子を見かねて、「長子との待遇差はあんまりではないのか」と何度か両親を諫めてくれたことがあります。

しかし結局、両親の態度が変わることはありませんでした。

実は幼少期に別の土地へ引っ越しましたが、小母さま方の中のひとりは、周りの目が届かなくなることを心配し

「あなたがちゃんと元気に過ごしているのか、確認しに来るからね」

と言ってくださった上に、本当に何度か会いに来てくださいました。

会いに来てくださった際には、両親にわからぬよう「大丈夫?」と細かく日々の様子を聞いてくださって、わが子のように心配していただきました。

 

映画の中で、父の遺骨をようやく発見した照恵は、勇気を出して娘・深草と共に母・豊子に会いに行く決心をします。

照恵が素性を明かさぬまま、豊子に前髪を切ってもらうシーン、やはり娘であることを告げられなかったものの、やっとの思いで「お元気で」と豊子に告げるシーンの原田さんの演技は、言葉は少ないものの、視線だけで巧みに感情が表現されており、本当に心に迫るものがあります。

豊子も、娘・照恵であることに気付きつつも、何も告げず見送ります。

 

母娘の今生の別れの後、帰りのバスの中で、

やっと母さんにさよならが言えた

と母・豊子への慕情を必死で断ち切り、

母さんに、「お前のことが可愛いよ」と言ってもらいたかった

 と吐露する照恵に、深草が「お母さん可愛いよ」と言い、照恵が泣きだしてしまうシーンでは、私も涙が落ちてきました。

ぽとぽと、ぽたぽた、たくさん涙が落ちてきて、止められませんでした。

 

私も、一度でいい、母に「可愛いよ」と言ってもらいたかった。

 

この映画を見て、『愛を乞うひと』とは一体誰なのだろうと考えました。

きっとそれは豊子であり、照恵であり、文雄であり、武則であり、そして観客である私なのだろう、と思いました。

皆さんは、どうお感じになるでしょうか。