「毒親」
「毒親」という言葉自体を知ったのは、結構前になるかと思います。
とはいえ、本当の意味を知ったのは最近のことです。
それまでは何となく、毒親とは「服がいつも汚れていたり、いつもお腹を空かせているなど、第三者が見てすぐにわかる虐待」をする親のことだ、と思い込んでいました。
この私自身の勝手な解釈で、私の親は「毒親」ではない、と長らく思い込んでいたのです。
私の場合、子ども時代に空腹に困った記憶はありません。
確かに、裕福ではない家庭に育ちましたが、巷で話題になるような、学級費や給食費の滞納をされたこともありません。
だから私は、ちょっと変わっていはいるけれど、ごく普通の家庭に育ったのだ、と思っていたのです。
しかし、結構最近になって、子ども時代のことを人に話していて、「本当に毒親だなぁ!」と言われてようやく、え?!これって毒親なの?!と気付いたのです。
私の子ども時代は、「新しいお母さん」がいつ来るのか、本当に毎日楽しみにしていたのが印象に残っている記憶です。
上記記事でも書いていますが、「新しいお母さん」が来るんだよ!と喜び勇んで近所の方々に触れ回っていました。
小さい頃の両親の記憶といえば、よく言い争っている姿です。
そして、特に母からは
- 早く離婚して自由になりたい
- アンタは邪魔だから置いて行く、要らない
- アンタは施設に預ける
- アンタは施設で育てばいいんだ
と頻繁に言われており、幼心に「ああ、私はどこか知らない場所に行かされるのだな」「長子は母のお気に入りだから、連れて行ってもらえるんだな」と思って育ちました。
でも不思議と、幼かった私に悲壮感はなかったのです。
日常生活自体が、この頃から既に歪なもので、毎日毎日、「顔も見たくない」と母に家の外に締め出されて、長時間ひとりで、もしくは近所の小母さま方のお家にご厄介になる生活でした。
ですから、「どこか知らない場所」に行かされたとしても、今とあまり変わらない生活だ、と幼心に思っていました。
ただ、優しかった近所の小母さま方や、好きでよく見に行っていた近所の飼い犬たちには会えなくなるんだなぁ…と思っただけでした。
私の育った家庭では、常に厳格な序列があり、
- 父親(逆らうことは許されない絶対的存在)
- 長子(最も尊重されるべき子ども)
- 母親(小間使い)
- 私 (奴隷、存在しない存在)
で、私は常に最下位に置かれていました。
そして、両親からは常に「育ててやっているのだ、感謝せよ」と、感謝を強要されて育ちました。
私にとって「親」という存在は、子どもに何かをしてくれる存在ではありませんでした。
私の育った家庭では常に、「子どもは、親のために働き何かをしてあげ、親のために役に立たなければならない存在」だ、と繰り返し刷り込まれていました。
ですから、学校に通うようになって「雨が降っているから親が迎えに来てくれるって」と言っている同級生のことが、不思議でたまりませんでした。
逆じゃないの、と。
「雨が降っているから、親のために迎えに行かなくちゃ」じゃないの???と、本当に不思議でした。
私の家では、「他人の家に遊びに行くこと」は厳しく禁じられていました。
(近所の小母さま方のお家に長時間お邪魔していたことは、小母さま方は誰ひとり、私の親に告げることはありませんでした。親は幼い私が長時間、ひとりで外で遊んでいたと現在でも思っているはずです。)
しかし極たまに、「どうしても遊びに来てほしい」と言われて断れず、恐る恐る遊びに行ったことが、数回ありました。
お友達のお家に遊びに行くと、その家のお母さまが飲み物やおやつを準備してくださったり、そのお友達が親しげにお父さまと談笑をしているのも、不思議でたまりませんでした。
「なぜ友達は、親の世話をしなくて良いのだろう」
「親の世話をしなくて、友達は私が帰った後で酷く叱られるんじゃないか」
そう気が気じゃなくて、お友達のお家に招いていただいても、10分もいるとそわそわしてしまい、すぐにお暇していました。
「え?!来たばかりなのにもう帰るの???」と毎回言われていましたが、私にとっては、その十数分間、親の世話をしなかった友達が後でどんな懲罰を受けるのか、それが気がかりでなりませんでした。
大きくなってから、「親」とは子どもに世話をされる存在ではない…らしいことを知りました。
しかし私の育った家庭では、現在でも「子どもは、親のために働き何かをしてあげ、親のために役に立たなければならない存在」です。
世間一般の「親」って、子どもに色々なことを“してくれる”存在なんだ、と頭ではわかっていますが、正直、いまだに信じていません。
そんなに温かい存在って、家庭内に本当に実在するものなのでしょうか。
こう考えてようやく、「ああ、私は毒親持ちなんだな」と気付くに至りました。
多分私は、長い間ずっと、自分の親は世間一般で言う「普通」で「まとも」な親だ、と思いたかったのだと思います。
これからは、「毒親」のもとで育ったことにも、ちゃんと向き合って生きていきたいと思っています。