母がしんどい

親子関係(特に母娘関係)って難しい。無条件に子を愛せる母親ばかりではないし、親からの愛情は無条件に注がれるものでもない。どうして母娘関係は上手く行かないことが多いのか。母の過去の行動から「母娘関係」の分析を試みます。

日本社会と偏重社会

それにしても、ネットを見ていると親子関係、特に母子関係に悩む人が私を含め多いと感じます。しかも、「娘」の立場で悩んでいる人が多いように感じるんです。

つまりは、母娘間の「女 vs 女」の関係が上手く行かないことが多い。

これって、なぜなんでしょうか。

私は、女性へのアンペイドワーク(unpaid work:無報酬/無賃金労働)の偏重が一因なんじゃないかと思っています。

  • 女性は、家事育児介護
  • 男性は、社会に出て賃金労働

というのが従来の日本の一般的な姿でした。

それが、1985年のいわゆる「男女雇用機会均等法」*1の制定によって、少しずつ変化が生じました。

 女性が社会進出した結果、上記の性別による固定的な役割分担にも変化が生まれます。

そして、1999年に施行された「男女共同参画社会基本法」によって、上記の性別による固定的な役割分担に対し、もっと柔軟に考えましょうという方針が打ち出されました。

つまり、必ずしも男性だけが家計を担わなくてもいいし、同時に必ずしも女性だけが家事育児介護を背負わなくて良い。お互いの負担を少しずつ下ろして、皆が同じような負荷になるようにしましょうよ、というわけです。

しかし、実際にはどうなんでしょう。

女性の家庭内での負担が減ったか、というと、そうではありません。

よって、家庭内のアンペイドワークは女性にその責任が偏ったまま、女性はさらに社会進出まで果たさねばならなくなったのです。

アンペイドワークと女性

アンペイド(unpaid:無給の;無報酬の)と言われるくらいですから、家事も育児も介護も、無報酬です。賃金をもらえる労働ではありません。

しかも、労働なのに誰からも感謝されないし、「当たり前のこと」と思われてしまうんですよね。家事育児介護って、確かに重労働で大変です。責任も重大です。

でも、「女性ならやって当然」としか思われていないんです、悲しいことに。

家じゅうのあらゆる出来事をすべてひとりで取り仕切る、人ひとりを育てる、人の最期を迎えるお世話をする…どれも否応なしに高ストレスな仕事です。それでも、女性がひとりで全部背負わなければならない。

誰が考えたって、重荷です。嫌です。重圧に押しつぶされそうになります。

「私だけの家庭じゃないのよ」

「あなたの子供でもあるのよ」

「あなたの親でしょ」

などなど、文句だって言いたい。でも、それを夫にはぶつけられない。

なぜなら、

「俺は外で働いている」

「お金を稼ぐことの方が偉い」or「(俺より)金も稼いでいないくせに」

「親を看取るのは女性の仕事だろ」

などと言われてしまうから。余計に辛くなるだけです。

「母」と「娘」

これでは、ストレスは溜まる一方です。すると、人間はどうしても自分より弱いものにそのはけ口を見出します。

それが、「母」にとっての「娘」なんじゃないかな、と私は理解しています。

「息子」にはそのはけ口は向かい辛い。「息子」には、異性である分「子」という感情が湧きやすく、愛情も沸きやすい。また、いずれ賃金労働に従事する身であり、自分の辛さをぶつけてもそのうち自分(の稼ぎ)を超越してしまう。

対する「娘」には、「子」という感情の前に、「同性」という感情が出てきやすい。つまりは「ライバル」という感情が湧いてくるのではないか。

端的に言えば、「母」は異性である「息子」とは同じ土俵に立てないが、「娘」とは性別条件が同じである故同じ土俵に立って戦える。

なまじ同性なので、母娘関係は得てして濃密になりがちなんじゃないかと思います。

だから、「母 vs 娘」という、親子関係における「女 vs 女」という対立の構図が生まれやすいのではないか、と分析しています。

 

母娘関係をこのように理解してから、段々と過去の母の行動が理解できるようになりました。

*1:正式には「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」、1986年4月施行

雨音

外は雨。

部屋にいる分には、雨の日は大好きです。色々な音を遮ったり、聞かせたりしてくれるから。

雨音が心地良いので、寒いのですが窓を開けてその音を楽しんでいます。

ここ数日、本当はやるべきことが山積しているのにまったく手つかずで、昔の経験ばかり思い出して、過去の記憶に苦しんでいます。そして、そんな自分をゆるせずにいます。

確かに母との関係はしんどかった。

今でもしんどかったとしか言いようのない関係ではありますが、きっと私ばかりがこんな目に遭っているのではないと思います。

私の知る限り、日本にはしんどい母娘関係に悩んだ人、苦しかった人、辛い人が少なくないようです。

これってどうしてなんでしょう。

私は、これに対してある仮説というには大袈裟かもしれませんが、ひとつの予測を持っています。

ここでは、私の母娘関係を例に取り上げながら、その行動の原因を分析し理解して行きたいと思っています。

読んでいて、決していい気持ちのするものではないと思うのですが、こういう親子関係もあるよ、ということと、同じ経験を持つ方と感情を分かち合えるといいな、と思っています。

「無償の愛」はない

「お母さん」と聞いて、普通の人は何を思い描くのでしょうか。

エプロンをして、微笑んでいる姿?

それとも割烹着を着たサザエさんに出てくるフネさんのような姿?

キッチンで料理をする姿?

編み物をしている姿?

どちらにせよ、慈愛に満ちた姿が多いのではないでしょうか。

私の場合は、目を吊り上げ、口を尖らせ、憎々しげに私を睨み下ろす姿です。

「可愛くない」

「あっちへ行って」

「産まなきゃよかった」

「何でアンタの面倒なんか」

等々、セリフ付きで蘇ってきます。

実際、母の笑顔がどのようであったか記憶がぼんやりとしていて、思い出そうとしてももうそれすらできません。

私の最も古い記憶は、確か1歳半から2歳くらいの時の記憶なのですが、この頃にはもう、母の顔は怒りと不満、そして憎しみに満ちたものであったと思います。

習慣的に、「無償の愛ってないんだなぁ」と体得したのもこの頃でした。

思えばこの記憶が、母娘のしんどい関係の始まりでした。

はじめまして

みみずくと申します。

幼児期に早くも親子関係でつまづき、以降ずっと悩んできました。

しかし、私ももういい年の大人(しおしおのババア♀です)になり、された仕打ちを赦し、前に進みたいと思うようになりました。

どうにかして過去の自分と親を赦し、新しいステップを踏み出す勇気を得るため、まずは少しずつ過去を振り返って行きたいと思います。