雨音
外は雨。
部屋にいる分には、雨の日は大好きです。色々な音を遮ったり、聞かせたりしてくれるから。
雨音が心地良いので、寒いのですが窓を開けてその音を楽しんでいます。
ここ数日、本当はやるべきことが山積しているのにまったく手つかずで、昔の経験ばかり思い出して、過去の記憶に苦しんでいます。そして、そんな自分をゆるせずにいます。
確かに母との関係はしんどかった。
今でもしんどかったとしか言いようのない関係ではありますが、きっと私ばかりがこんな目に遭っているのではないと思います。
私の知る限り、日本にはしんどい母娘関係に悩んだ人、苦しかった人、辛い人が少なくないようです。
これってどうしてなんでしょう。
私は、これに対してある仮説というには大袈裟かもしれませんが、ひとつの予測を持っています。
ここでは、私の母娘関係を例に取り上げながら、その行動の原因を分析し理解して行きたいと思っています。
読んでいて、決していい気持ちのするものではないと思うのですが、こういう親子関係もあるよ、ということと、同じ経験を持つ方と感情を分かち合えるといいな、と思っています。
「無償の愛」はない
「お母さん」と聞いて、普通の人は何を思い描くのでしょうか。
エプロンをして、微笑んでいる姿?
それとも割烹着を着たサザエさんに出てくるフネさんのような姿?
キッチンで料理をする姿?
編み物をしている姿?
どちらにせよ、慈愛に満ちた姿が多いのではないでしょうか。
私の場合は、目を吊り上げ、口を尖らせ、憎々しげに私を睨み下ろす姿です。
「可愛くない」
「あっちへ行って」
「産まなきゃよかった」
「何でアンタの面倒なんか」
等々、セリフ付きで蘇ってきます。
実際、母の笑顔がどのようであったか記憶がぼんやりとしていて、思い出そうとしてももうそれすらできません。
私の最も古い記憶は、確か1歳半から2歳くらいの時の記憶なのですが、この頃にはもう、母の顔は怒りと不満、そして憎しみに満ちたものであったと思います。
習慣的に、「無償の愛ってないんだなぁ」と体得したのもこの頃でした。
思えばこの記憶が、母娘のしんどい関係の始まりでした。