「私は絶対許さない」
ずっと気になっている本と映画があります。
雪村葉子氏の「私は絶対許さない」です。
今年(2018年)には、映画化もされています。
何かの記事でちらっと紹介されていたのをきっかけに興味を持ちましたが、書籍はまだ入手できていません。
以下は、書籍の内容を紹介した記事です。
『私は絶対許さない 15歳で集団レイプされた少女が風俗嬢になり、さらに看護師になった理由』の著者が語る加害者への復讐の方法 | ダ・ヴィンチニュース
本書の大まかな内容は上記記事で伺い知ることはできると思いますが、刺激的で、読み手にとってキャッチーな部分だけ切り取って記事化されていると思うので、やはりきちんと書籍を入手して読まなければ…と思いつつ、もうだいぶ長い時間が経ってしまっています。
(ただ上記記事でも驚かされるのは、東北の田舎町で、加害者である男たちが大麻とおぼしきものに興じていた、と描写があるところです。現在アラフォーである雪村さんが被害に遭われたのは、今から二十数年前。その頃から、私の想像以上に、薬物汚染は日本で広まっていたのでしょうか。これも、看過できないとことだと思います。)
私が本書に興味を抱いたのは、筆者の雪村さんと同世代であること、そして家庭・生育環境が似ていることからです。
というか、自分の分身のように感じてしまっている部分があります。
ただ一点、雪村さんと私が違うのは、私は幸運にも雪村さんが遭われたような被害に遭うことが無かった、だから性への捉え方も異なり、後の人生で性行為への対価として金銭を結びつけることが無かった、ということ。
その他の点では、例えば男性に対する考え方などはかなり近しいものがあるなぁと、雪村さんのインタビュー記事を読んで感じています。
上記記事中にもありますが、雪村さんは自分の身体を男性に差し出し、自分の身体の魅力で男性を虜にすることを通じて男性に復讐をしようとしている。
対する私はその真逆にいるだけだと思うのです。
正反対のものって、全く違うように見えて、実は似ている。
そういうことって多いと思いませんか。
私の関心は常に、マイノリティの方々にあります。
こう言ってしまうと、「じゃあ、自分はマジョリティのつもりなのか」とお叱りを受けそうですが、私自身は、自己をマイノリティにカテゴライズしたらいいのか、それともマジョリティにカテゴライズしていいのか、良くわかっていません。
ある部分ではマイノリティであって、ある部分ではマジョリティであると認識しています。
(大部分の方はそうかもしれませんよね、思想的にも、属する社会環境的にも。)
そんな私の関心事は、自分と対極にあるようでいて、本質的なところで実はそっくりなんじゃないかと思っている、性産業に従事する女性です。
インタビューなどで語られる彼女たちの生育環境は、私とそんなに変わらない。
なのに、どうして私は性産業に従事することを選ばず、彼女たちはそれを選んだのか。
いや、私だって、(需要さえあれば)これから性産業に従事することを決して選ばないと言い切れるのだろうか。
彼女たちは、日本の“闇”や“暗部”として語られることが多いように思いますが、そんなことは全然なく、取り立てて私たちと変わらない、ごく普通の存在なのです。
全く違うように見えて、実は分身のように私に似ている彼女たちには、常に深い関心を注いでいます。
私の分身たちを性産業へと駆り立てるものは何なのだろう。
昔は、金銭面で仕方なく、というのが多かったのではないかと思いますが、最近ではそうとも言えなくなっているようです。
一流大学と言われる大学に通い、人も羨む素晴らしい生育環境にいるにも関わらず、「職業選択」の一環として性産業を選択するという現象も生じていると聞き及びます。
それを理解するためにも、本書は是非読んでみなければと思っています。
ただ、映画は見る勇気がないかもしれません、とても残念に思いますが。