母がしんどい

親子関係(特に母娘関係)って難しい。無条件に子を愛せる母親ばかりではないし、親からの愛情は無条件に注がれるものでもない。どうして母娘関係は上手く行かないことが多いのか。母の過去の行動から「母娘関係」の分析を試みます。

孤独への対処法

私は自他共に認める孤独な人間で、普段は感じないようにしていますが、時折孤独感に苛まれて手も足も出ない状況に陥ります。

現在もまさにその状況で、ひたすら部屋に閉じこもって布団の中にくるまって縮こまり、孤独の嵐が過ぎていくのをじっと待っています。

孤独への対処法って、私にとっては「慣れること」と「諦めること」、そして「耐えること」です。

誰にも、何も言えないこの状況に、慣れて・諦めて・耐える。

これさえすれば、何とかやり過ごせる。

そう思ってずっと生きてきました。

 

昔の記憶の話になりますが、そういえば私が最初に孤独を感じたのは、3歳くらいのことでした。

私が育った家庭では、長子のみが両親の関心と愛情を注がれる対象で、私は“いない存在”として扱われていました。

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“安らげる場所”とは程遠かった家庭内で、私が唯一安心してホッとできる場所。

それは、当時住んでいた家の2階にあった畳敷きの部屋の隅に置かれた、段ボール箱の中でした。

 

その段ボール箱は、確か元々は掃除道具か何かを一時的に入れておいたものだったように記憶しています。

部屋の角と箪笥の間にぴったりと隙間なくちょうど良く置かれたその箱は、私にとってとても魅力的な場所でした。

入れられていた掃除道具が定位置を決められて箱が空になった後、母に家から追い出されない日はほぼ一日中、その中に入っていました。

 

箱の大きさは、小柄な3歳児が入って体育座りをしてちょうどぴったりな大きさだったと思います。

私はその箱の中に座っているのが、本当に大好きでした。

 

箱の内側にはお気に入りの動物のキャラクターシールを貼って、箱の中に座ってはそのシールの絵を、日が傾くまで何時間も見続けるのが大好きでした。

眠気が来たら、体育座りのまま背中を丸めて膝の上に頭を置いて、うつらうつらとするのが好きでした。

ハッと目が醒めたら大好きなシールの絵が視界に入り、嬉しくなったのを今でも覚えています。

 

その箱の中に座っている時間だけ、私は心からリラックスして、安心して落ち着けました。

サイズ感といい、部屋のまさに死角にある位置といい、その中に座っていると外部のあらゆるものから完璧に守られて、大きな安心感のようなものに包まれているような感覚がして、大のお気に入りでした。

ずっとこの箱の中にいたい、箱から出たくない、この箱の中でずっと暮らしたいと思っていました。

 

その箱の中で、私は色々なことを想像するのが好きでした。

その箱の中では、私は常に自由で、楽しくて、そして希望に満ちていました。

その箱に入ったまま何年も暮らした後のことを、幾度となく想像しました。

想像の中で、箱の中で暮らしていた私は、間違いなく幸せでした。

 

今、振り返ってみると、私はこの時に孤独との向き合い方を学んだように思います。

箱の中に入って、孤独に慣れて、諦めて、耐えれば、他の楽しいことを想像したら良い。

 

3歳の私も、今の私も、孤独とこのように付き合っています。