何も、ない
今日はちょっと趣を変えて、少し家族について綴ってみようと思います。
私には、ちょっと、いや大分変わった長子がいますが、良く考えてみると、私の両親もかなり変わっています。
というのは、皆さんは普通にご経験であろう、「お宮参り」や「七五三」など、節目の節句を一切しない家庭だったからです。
正確には、長子の時にはお宮参りや七五三のお祝いをした形跡(写真)が残っていますが、私には一切ない。
これについて、幼いころに母に尋ねたことがあります。すると「節句を祝うのは長子のみ。アンタはする必要がない」と回答されました。
ですから、小さい頃、今思えばちょうど七五三の時期に地元の大きな神社の近くを通った際、綺麗に着飾った自分と同じ年頃の子どもたちと、同じくお洒落をした親御さんたちの晴れやかな様子を見て、「いいなぁ」と思ったものでした。
あまりに羨ましそうに見ていたからでしょう、神社の巫女さんから「千歳飴」をいただいたこともあります。
私にとって、世の中に存在するあらゆるお節句は、本で読んだり「幼稚園で経験するもの」でした。
家庭内で経験したことはありません。
桃の節句のお雛さまも、幼稚園やお友達の家で見るもので、自宅にはありません。
あ、例外がありました。
それは、「クリスマス」です。
(あ、でもクリスマスは、節句ではありませんね。(^▽^;))
クリスマスだけは、ツリーを飾って部屋も飾り付けて盛大にお祝いしていましたが、その他の節句は何ひとつしたことがありません。
だから、いい歳になった今でも、良くわからない・知らない節句ばかりですし、子どもの節句に関連する思い出話にも、経験がないので加わることができません。
というか実は、子どもの頃の写真が私にはほぼありません。
あるのは、幼稚園で撮っていただいた写真くらいです。
入園以前の写真は、赤ちゃんの頃のが数枚あるだけで、その他はありません。
“普通の”ご家庭には子どもの写真のアルバムがあるそうですが、私にはありません。
私には、名実ともに、子ども時代の良い思い出が何も、ない。
(このブログに綴っているような、全く嬉しくない記憶なら、山のようにあるのですが。)
いつも思うことですが、現在子ども時代を過ごしているお小さい方々には、私と同じ思いをして欲しくないなぁと切実に思います。
後から何度も見返すことのできる、両親や育ててくださった方の愛情を感じることのできる写真だけでも、残る人生であって欲しいと願っています。