「愛される」ということ
大分前なのですが、とても気になったニュースがありました。
とても恵まれた家庭環境、教育歴、経歴なのに、なぜポルノ業界にいらしたのだろう…、ととても気になっています。
ご本人の著作を拝見したことが無いので、是非読んでみたいと思っています。
それにしても、
- 何不自由なく、
しかも
- 何の問題もない家庭に育ち、
- 一流大学・大学院を出て、
- 一流企業に勤めていらっしゃるのに、
どうして不特定多数に自分の性行為を見せる仕事をされていたのだろう…、
と考えていて、自分が偏見を持っていることに気付かされます。
逆に言えば、
- 不自由があって、
- 問題のある家庭に育って、
- 高学歴でなく、
- 高給でもない職業に就いている
としたら、ポルノ業界にいても特に疑問はない、と思っても仕方が無い、ということになるからです。
こういう偏見を持った自分を、とても恥ずかしく思います。
なぜならば、私こそ、上記の条件にぴったりと当てはまっている存在だからです。
でも、ポルノ業界とは縁遠い生活を送っています。
ということは、ポルノ業界で働いている女性も私も、大きくは違わない存在だとも言えます。
ポルノ業界で働く彼女たちと私の違いって、一体何なんでしょう。
何かのタイミングさえ合えば、私もポルノ業界で働いていた可能性は、大いにあるといえます。
だからこそ、
- 両親が共に著名人で、
- 円満な家庭で愛されて育って、
- 一流大学・大学院を卒業し、
- 一流企業の高給取り
であり、
ごく一般的な女性とは社会的にも経済的にも、恵まれ方が少し違うように感じるこの方が、
「不特定多数に自分の性行為を見せる」ことに、どのような意味付けをされていたのか、興味を覚えているのだと思います。
私はポルノビデオを見る機会がなく現在に至っていますので、ポルノビデオに出演している女性が実際に性行為をしているのか、それともそう見せかけているだけなのかは知りません。
しかし、不特定多数にそう見せかけるだけでも私個人には抵抗があり、(誰も求めていませんが)絶対にできそうにありません。
恵まれた環境から、この方はお金のためではなく、恐らく別の目的と価値観をポルノ業界に見出していらっしゃって、
だからこそ不特定多数に自分の性行為を見せるという仕事をしていらっしゃったのではないかと思うのです。
この方の記事を複数読んでいて、
逆恨みをした元カレに、出演作(ポルノビデオ)を両親に送りつけられた
とありました。
普通であれば、死をも覚悟するような一大事です。
しかし、著名な舞踏研究者でいらっしゃるお父さまは、
それでも娘に対する愛情に変わりはない
との反応だったそうです。
また、同じく著名な文学者でいらっしゃったお母さまとは、生前は対立もあったようですが、
いい娘を一人育てた、幸せだった
との言葉を残して、天国へと旅立たれたそうです。
私は、高学歴でも、一流企業勤務でも高給取りでもありません。
でも、少なくともポルノビデオへの出演経験はありません。
なのに、両親から、一度も愛情を注がれたことがありません。
「いい娘」と言われたことも、思われたこともありません。
第一、両親に私の存在を肯定されたことすらないのです。
私がもし、ポルノビデオに出演したことがあったとしたら…。
私の存在自体を常に疎んじてきた両親の反応は、考えなくともわかります。
私が両親から愛されるには、一体どうしたら良かったのだろう。
この方と自分との境遇を比較し、両親に「愛される」って一体どういうことなのだろう、との思いを深くしています。