母がしんどい

親子関係(特に母娘関係)って難しい。無条件に子を愛せる母親ばかりではないし、親からの愛情は無条件に注がれるものでもない。どうして母娘関係は上手く行かないことが多いのか。母の過去の行動から「母娘関係」の分析を試みます。

おやつがわり

これを知ったのは割合最近のことなのですが、摂食障害って母娘関係に問題を抱えている人に罹患率が高いのだそうです。

確かに、摂食障害に悩む方には女性が多い気がします。

私の場合、摂食障害までは行きませんでしたが、ずっと食事を美味しいと思ったことがなく、フラフラになって身体がしんどいから仕方なく食べる、というのが食事の意味でした。

 

例えば、高校生から大学にかけては食べられないことが多く、常に真っ直ぐに歩けませんでした。

自分では真っ直ぐに廊下を歩いているつもりでしたが、気が付けば壁に身体を擦り付けながら歩いている、という状態でした。

太れませんでしたが、見た目にハッキリと目立って悲壮感が漂うほど痩せてはいませんでした。

でも、細い身体が好きで、もっともっと痩せて身体が無くなってしまいたい、とも思っていました。

やせ細っている身体こそ完璧で素晴らしい、と当時は本気で考えていました。

 

食事について、私が一番辛かったのは高校時代でした。

学力トップ校に在籍していましたので、毎日勉強へのプレッシャーが容赦なくありました。

毎日試験がありましたし、その試験に合格できないと、懲罰のようなものがありました。

同級生たちとも常に競争しなければなりませんでしたので、毎朝5時には起きて登校していました。

 

私は、朝早く起きて、誰にも邪魔されずにひとりで自由に使える時間が大好きでした。

他の家族が起きてくる前のつかの間の時間、ひとりで朝食と身支度を済ませて登校するのが理想でしたが、それを母は許してくれませんでした。

母本人にしてみれば、きっと早朝ひとりで娘が登校準備をするのは寂しかろう、との思いやりだったのかもしれませんが、私が起床して身支度を始める音を聞くや、母も起きてきて、毎朝父への不満を聞かされました。

 

正直、当時の私にしてみれば拷問のような時間でした。

 

それでなくとも、毎日が勉強へのプレッシャーとストレスでいっぱいいっぱいでした。

その上毎日、母から父への文句を聞かされるのです。

「うん…、うん…」と聞きながらも、なぜ父本人に言わないのか、と思っていました。

今思えば、母は父への不満があっても、離婚して(離婚されて)自分の力で生活しようという気概はなかったのだと思います。

ちょっと変わっているが母が可愛いがってやまない長子は、人の話を聞くタイプではありませんでした。

よって、母が自らの気を晴らすためには、私を不満のはけ口にせざるを得なかったのだと思います。

 

ただでさえ勉強への強いストレスに曝されていたのに、恐らく、当時の私の身体は耐えられなかったのだと思います。

気付けば、朝食はほとんど食べられなくなり、毎日酷い胃痛に悩まされるようになっていました。

 

“女子高生”という、最もキラキラして楽しいはずの時代が、私にはほとんどありませんでした。

胃の痛みで四六時中脂汗が出て、時にはうずくまってしまうほどで、お洒落なメイク道具の代わりに、缶に入った粉状の胃散薬を缶ごと持ち歩いては服用していました。

あの有名な胃散薬の一番大きい缶を持ち歩く、ある意味異常な“女子高生”でしたが、その大缶の胃散薬もすぐに飲み終えて、何缶も買い足しました。

すると当時、飴やラムネのようにチュアブルで服用できる胃薬が発売されました。

私はそのテレビCMを見るや薬局に買いに行き、缶よりも携帯性に優れたそのチュアブル胃薬を、それこそおやつがわりに毎日山のように食べていました。

しかし、それでも私の胃痛が治まることはありませんでした。

 

高校生だった私が朝食をほとんど食べなくなり、通学鞄に山ほど胃薬を持ち歩いていたことには母も気付いていたはずですが、何も言われたことがありません。

きっと、私の健康など心底どうでも良かったのだと思います。

山のように胃薬を持ち歩く娘を前に、母は変わることなく、毎日繰り返し、父への不満を聞かせました。

 

大学に入ってからも、メイクポーチには必ず胃薬が入っていました。

いい歳になってようやく、胃薬を持ち歩くことはなくなりましたが、今、またストレスで胃薬を飲み始めました。

昔とは逆で、今度は、胃がはち切れそうになるまで食べて、食べて、食べ続けてしまいます。

胃が痛くなると胃薬を飲み、少し痛みが引くとまた食べる、その繰り返しです。

高校生だった頃とは真逆で、醜く膨れ上がる身体を嫌悪しつつも、食べるのを止められません。

 

今の私は、高校生とは随分とかけ離れた年齢になりましたが、未だに変われていません。

また同じことの繰り返しです。

そんな自分を、許してあげたいのに許せずに苦しんでいます。