『夢を与える』
以前、菊地凛子さんと小松菜奈さんの出演ドラマ『夢を与える』を見て、その内容と小松菜奈さんの演技にとても惹かれました。
それ以降、小松菜奈さんのことを何かと注目してしまいます。
それほど、私にはとても魅力的に映る演技をされていました。
ドラマの中で、いまだにハッキリと印象に残っているシーンがあります。
それは、不祥事を起こし世間に大きく注目され、自分の意志とは無関係にマスコミに追い掛け回される生活と周りの大人たちの反応にいらだった、国民的芸能人の夕子(演:小松菜奈さん)が、母親兼マネージャーの幹子(演:菊地凛子さん)に、
「私はお母さんの操り人形じゃない!」
と感情を爆発させる場面です。
なぜいまだにこんなに深く印象に残っているのかというと、その場面での小松さん演じる夕子の衣装が、
(記憶が確かならば)タンクトップといちごが編み込まれた毛糸のパンツ姿だった、というのもあるのですが(笑)、
私がずっと言いたかった言葉だったから、というのがその最大の理由です。
私は、今も昔も、ずっと、母の操り人形です。
母の呪縛から現在も逃れられず、もがいています。
このドラマで興味が出たので、原作を読んでみたいと思っていたところ、綿矢りささんの同名小説『夢を与える』がそうであると知りました。
しかし、該当の夢を与える - Wikipediaで見る限り、ドラマと小説は結末等異なるところが多く、しかも、作者の綿矢さんをして、
ハッピーな話ではなく、ラストもかなり暗い
(出典:夢を与える - e-hon)
と言わしめた原作を読む勇気が出ず、未だに手付かずです。
それにしても、「夢を与える」という言葉には、私もずっと違和感を抱いてきました。
この言葉、昨今の日本に溢れているように思います。
しかし、夢って、人に“与えることのできる”ものなのでしょうか。
第三者の言動や存在などに触れて、受け手が勝手に“与えられた”と感じ取るだけで、主体的に作用できるものではない、と私には思えるのです。
さて、皆さんは誰かに夢を与えることはできますか?