どうでもいい子 2
「どうでもいい」とは、私が言われ続けて育った言葉です。
- アンタのことは“どうでもいい”
- アンタが何をしようと“どうでもいい”
- “どうでもいいでしょ”
等々、列挙に暇がないほど言われ続けてきました。
母親に話しかけても、返ってくるのは“どうでもいい”ばかりで、でもそれでも言葉が返ってくるだけマシでした。
大抵は何も返って来ず、存在すら無視されていたからです。
両親にとって自分は価値のない人間なのだな、というのは物心つく前からわかっていました。
両親にとって価値のある子どもは、家庭内で長子ただ一人だったからです。
どうでもよくない、構いたい価値のある子は、長子であって私ではない。
それは、幼い私にもはっきりとわかるほど、両親の態度はあからさまでした。
そういえば、子どもというのは親から無条件に愛情を注いでもらえるものらしい、というのを知ったのは、大人になってからでした。
無償で注いでもらえる愛情って一体何なんだろう。
愛情って、無条件に注いでもらえるものなのだろうか。
それは、いい歳になった今もさっぱりわかりません。
愛情、というものも、愛されるという感覚も、いまだに一切わかりません。
わからないなりに、他の人に愛情を注いでみているつもりですが、それが果たして本当に愛情であるのか、正直わかっていません。
でも、ひとつだけわかることがあります。
それは、「してもらいたかったことを相手にする」ということです。
子どもを見たら、極力良いところを見つけて言葉で褒め、そして頭をなでる、ハグをするなど行動に表すようにしています。
言葉も行動も、無償の行為です。
それで愛情が示せるのなら、いくらでもしたいと思っています。
異性や友人に対しても同様です。
小さかった私がしてもらいたかったことを、相手にする。
それで、自分がもらえなかった愛情を補完できているつもりになっているのかもしれません。
愛情ってどのように注いでもらえればよかったのか、もう大人になってしまった私には取り返しのつかない難題です。
しかし、今同じ問題を抱えている人がいたら、差し上げられるものなら差し上げたい、そう願っています。