「なんで?」
今日はちょっと趣向を変えて、恐らく母が育て辛かったであろう、ちょっと変わった長子について綴ってみたいと思います。
長子とは、いまだに上手く会話のキャッチボールができません。
というのは、何を聞いても最初に返ってくる答えが「なんで?」だからです。
例えば、
「土曜日、出勤?」→「なんで?」
「コンビニ寄る?」→「なんで?」
「今から送る文書をプリントアウトしてくれる?」→「なんで?」
という具合に、何を聞いても頼んでも、「なんで?」が先に来るのです。
質問の意図が通じないようで、それは子どもの頃から現在も、全く変わりません。
そういえば母が言っていました。
私が生まれる前、まだ長子がひとりっ子だった頃、目にするものすべてを指さして、「なに?」と聞いていた、と。
自分が認識できるまで繰り返し聞き、目に入るものすべての名称や現象を説明しなければならなかった、と。
その質問はひっきりなしに続き、やはり付きっきりで面倒を見なければならなかったようです。
また長子は、初対面の人と会話を交わすことができません。
現在は少しは良くなっているようですが、基本的に極度の人見知りなので、初対面の人とは、直接ではなく、誰かを介してでないと話すことができません。
というよりも、言葉で人とコミュニケーションをとることが、極度に苦手なのです。
よって、病気になっても病院には行けません。医師に、自分の言葉で自分の体調を説明できないからです。
また、言葉を額面通りに取りがちで、婉曲的な表現をされると、その発言の真意が汲み取れません。
それが、現在も続く「なんで?」の原因でもあるようです。
普通、「土曜日、出勤?」と聞かれると、何か用事があるのでは、との予測がつきますが、長子はそれができません。
また、自分で決めた“マイルール”に従って生活をしており、傍から見るとかなり奇妙な生活をしています。
例えば、アレルギーなどは一切ないのに、
- ○○(任意の食べ物)は食べない
と決めていて、それを数十年頑なに守っています。好き嫌いという訳でもなく、「自分で決めたから」食べない、というだけです。
また、
- ○○(任意の国や地域/場所)には行かない
とも決めていますので、行けない場所がたくさんあります。これも、特に理由はなく、「自分で決めたから」行かない、というだけです。
このような数限りない“マイルール”に従って生活をしていますので、私から見ると大変窮屈な生活をしています。
しかし本人が自分で決めたことで、やめるという選択肢は本人にもありません。
誰かに強制されたわけでもなく、宗教や信仰上の制約があるわけでもなく、体質や医師からの制限を受けているわけでもないのに、自分で勝手に決めて、勝手に守っているだけなのです。
また、物事に対して強いこだわりを持っていますので、自分の決めたペースや秩序を乱されると、かなりの不快感を覚えるようです。
他人を許容できないので、人と旅行に行くこともできません。学生時代につきものの「修学旅行」、これも参加できませんでした。
私には楽しい思い出しかありませんが、他人を許容できず、自分の決めた秩序を乱される旅行という行為は、長子にとっては耐えがたい苦痛のようでした。
その他にも、長子に関してはいまだに奇妙なことしかありません。
もしかすると、専門医の診察を受けると、何らかの診断がつくのでは、とも思うこともあります。
しかし、前述のように、長子は言葉でのコミュニケーションがかなり不得手なので、医師にかかることはできないのです。
また、本人も生き辛さを感じてはいるものの、現在も幼少時、母が付きっきりで自分にしてくれていたように、「誰かが何とかしてくれる」と、本気で思っている節があります。
これじゃ、私もお手上げです。
誰のものでもない人生、自分で自分の人生を生きなければ。
いまだに自分の人生を歩めていない長子を、時折不憫に感じます。
しかし、もう人生の後半戦に差し掛かっている長子に、私の思いは伝わりません。
やはり、自分は自分で自分の人生を生きるしかないんです。
厳しいかもしれませんが、当然のことだと考えています。