母がしんどい

親子関係(特に母娘関係)って難しい。無条件に子を愛せる母親ばかりではないし、親からの愛情は無条件に注がれるものでもない。どうして母娘関係は上手く行かないことが多いのか。母の過去の行動から「母娘関係」の分析を試みます。

醜くないよ

yomidr.yomiuri.co.jp

 

自分のことを愛してくれなかった親へ、正直な気持ちを綴ることのどこが「醜い」のか、私には皆目わかりません。

これこそ、「親は絶対」だとして、虐待を肯定することにつながっていると思います。

 

親は聖人ではありません。

 

血がつながっていようがいまいが、自分より力も弱く権力も財力もなく、庇護下に置かれなければならない立場の子どもを、平気で虐待しうる存在でもあるのです。

 

聖人ではなく、子どもを平気で辛い目に遭わせる「親」でも、まだ敬わなければなりませんか?

 

「親」というだけで神聖視するのは、もうやめにしませんか。

 

私は、自分を常に辛い立場に追いやって救ってもくれない人を「親」と思わなくていいと思います。

そして、その感情や事象について、「醜い」とは思いません。

極めて正常なことだと思います。

嫌なことをされてきて、どうして嫌ったらダメなのでしょうか。

その理由が「親だから」だとしたら、それは極めて非合理的だと思います。

 

私はやはり、女優・渡辺えりさんのお考えの方が受け入れられると思います。

oyasumimizuku.hatenadiary.com

 

虐待をされてきて、辛い思いをしたことをようやく吐き出せて、それを「醜い」と表現されたら、もう気持ちの逃げ場がなくなります。

 

親のことは、嫌っていいんです。

それは「醜い」ことでも何でもない。

 

極めて正常で、至って普通、当たり前のことなんです。

 

何度でも言います。

嫌な親を好きになる必要なんてないです。

 

愛情をくれなかった親を嫌いになることを「醜い」と表現する人の方こそ、「醜い」。

私は心からそう思っています。

しんどいです・2

本当にしんどいのがずっと続いています。

でも、誰にも吐き出せません。

表面上は普通を装っていますが、本当に限界。

とはいえ、誰も気づいてくれません。

当然です、表には決して出さないようにしていますから。

 

「誰かに気付いて欲しい」

そういう気持ちも勿論あります。

 

しかし、

「オマエ/アンタは、生きているだけで迷惑」

と実の親に言われて育ちましたから、誰にも何も言えるはずがありません。

 

苦しい、

苦しい、

辛い、

助けて、

とひとりで泣いて泣いてもがいて、いざ部屋の外に一歩でも出ると、平然を装う。

何の問題もなく、あたかも幸せに生活しているかのように装っています。

何年も、何十年も。

 

良く人に言われます

「何の悩みもなく、明るく幸せに育ってきたでしょう?」

と。

本当は、全くの正反対です。

こう言われる度に、私の演技力も満更ではないのだな、と皮肉に思っています。

 

「苦しいなら話して欲しい」

と言われても、絶対に話すことはできません。

実の親だって信頼できないのに、赤の他人をどうやったら信じられるのでしょう。

 

本音は、決して人に話さない。

そうやって今まで生きてきました。

これからも、ずっとこうして生きて行くと思います。

 

でも、本当は誰かのことを信頼してみたい。

人のことを信じてみたい。

 

そう思っては、実の親からなされてきた仕打ちを思い出し、やはり誰のことも信用してはならないのだ、と思い直す日々です。

 

苦しいです。

辛いです。

しんどいです。

助けて欲しいです。

 

現実では死んでも口にできないことを、ここで言葉として吐き出せるのは幸せなことだと思います。

ありがたいことです。

 

さあ、ドアを開けたらまた、

「何不自由なく、明るく元気に、幸せに育って来た私」

を演じる舞台の幕が上がります。

 

誰も、本当の私は知らない。

誰にも、本当の私を悟られていない。

そんな日々の繰り返しです。

 

しかし、私だけでなく、誰しもこういう部分を持ち合わせていると思っています。

「辛いのは私だけではない」

そう思えば、心も少しばかり軽くなるように思います。

「逃げ」じゃないよ

学校に行かないという選択を、「逃げ」と表現されることに違和感を覚えます。

学校に行っても、

  • 辛い思いしかしない
  • 心身共に安らげない

ならば、学校に行かないことは、「逃げ」ではなくて「防御」だと思うからです。

「逃げ」だと表現されれば、某アニメの主人公のように「逃げちゃダメだ」という心境になって、逆にどんどん追い詰められるように思います。

 

学校に行かなくても、義務教育は卒業できます

学校に通わなくても、高認試験を受けて大学受験をすることも可能です。

大学には、今よりももっと広くて柔軟な世界が待っています。

通信制の高校や大学だってあります。

 

今いる辛い環境が、永遠に続く訳ではありません。

勇気を出して環境を変えてみると、想像以上に面白いことや人に出会えるかも知れません。

 

アルバイトなどで、違う年代の人々と触れ合ってみるのもいいと思います。

世の中には色々な考え方の人がいて、違うからこそ面白いのです。

狭い世界の中の、狭い考えに無理に合わせることをしなくても、大丈夫。

 

ただ、自分の興味のある分野をもっと深く掘り下げて、知識を得たり深めるのは、とても意義深いことです。

学問で得た知識は、あなたの人生を彩り豊かにしてくれて、より広く楽しい世界へと連れて行ってくれます。

学校に行かなくても別の方法で、自分の興味のある分野についての勉強は、是非続けてみてください。

 

だから、今いる環境が息苦しくて窒息しそうなら、勇気を出して抜け出して、新鮮な空気を吸ってみませんか。

 

そのために大人に相談をしたいなら、是非、信頼できる人に話してみてください。

その際に気を付けていて欲しいのが、悲しいことに、悪い大人もいるということ。

でも、良い大人もたくさんいます。

 

注意してください。良い大人は、

  • 「お金を払え」とは言いません
  • 「あなたの写真が欲しい、見せて」とも言いません
  • 「電話で直接話そう、電話番号を教えて」とも言いません
  • 「今すぐ会って話そう」とも言いません

 

あなたがお金を払わなくても

    写真を見せなくても

    電話番号を教えなくても

    すぐに会わなくても

良い大人は相談に乗ってくれます。

 

逆に言えば、上のことを要求されると、その相手は信頼できない大人の可能性があります。

別の信頼できる大人は必ずいますので、違う大人を探してください。

 

新鮮な空気を吸うためにも、「防御」は必要です。

もし、このブログ記事が目に留まった方がいましたら、学校に行かないことは「逃げ」ではないことを、どうか心の片隅に置いてほしいな、と思います。

「大丈夫だよ」

ここ数年、ネット上などでも話題になっていますが、今日9月1日は、一年でも若年者(18歳以下)の自殺が最も多い日なのだそうです。

www.chunichi.co.jp

 

私が小さい頃、とても辛くて学校に行きたくない時期がありました。

それでも、毎日学校に行かされていました。

家庭にも学校にも、逃げ場やホッとする場はありませんでした。

その期間は、今考えると恐らく1~2年程度でしたが、当時は何十年にも思える長さでした。

先生や親を含めた周りの大人たちは、何ひとつ、してくれませんでした。

だからこそ、言いたいことがあります。

 

 

学校に行かなくったって、大丈夫だよ。

 

学校に行っても、嫌なことを言われたりされたりして辛いだけなら、行かなくて大丈夫。

 

学校以外に、ホッとするところ、楽しいところなんていくらでもあるよ。

 

気の合う人、信頼できる人だって、学校以外にいくらでもいるよ。

 

 

だから、大丈夫。

学校に行けない・行きたくない自分を責める必要なんてないよ。

辛くて悩んでいるのに、これ以上、自分まで責めなくていいんだよ。

大丈夫、大丈夫。

 

もし、このブログ記事を目に留めてくれる人がいるとしたら、何度でも伝えたいです。

大丈夫、あなたはそこにいるだけで価値がある人なんだよ。

 

好きな本や漫画を読んだり、映画やドラマを見たり。

まずは、自分が心地良いと感じることをしてみてね。

もちろん、何もしなくたっていいんだよ。

辛いなら、無理に何かをする必要もない。

大丈夫、あなたはいるだけで価値があるよ。

だから、自分を責めないでね。

 

何もしたくなくても、焦ることはないよ。

そういう時は、気にせず休憩したらいいよ。

そして何かをしてみたくなったら、楽しいと思えることを始めてみるといいよ。

辛くて嫌なことを無理にしなくても、大丈夫だよ。

あなたは、いるだけでいいんだよ。

しんどいです

もうずっとしんどくて、でもそれを吐き出せるような誰かもいなくて、限界が近くなっています。

まともな家庭に育ってみたかったとか、色々と思うことはあれど、私ももういい歳のBBAです。

何とか乗り越えなければ…、と言いつつ、これが本当に難しいのです。

だから、例えば食べ物を食べないですとか、逆にたくさん食べ過ぎるとかセルフネグレクトをして、憂さを晴らしたりしていますが、これも簡単にはいきません。

鏡に映るのは、以前に増して水分の抜けた髪をして、顔中吹き出物だらけの私です。

外出すら、気力も体力もなくてままなりません。

 

私は私を幸せにしてあげるために存在しているはずなのに

こんなことをしたいんじゃないのに

 

でも、私は私を赦してあげて、私自身を幸せにしたいです。

今まで、色々なことを親に諦めさせられてきた人生です。

自分自身の幸せすら、一度は諦めさせられました。

 

でもやっぱり、それだけは諦めたくない。

 

こんな私だけれども、存在を許されたい。

 

私だって、誰かに存在を肯定してもらえる日が来るかも知れない。

 

その望みを胸に、何とか這いつくばってやろうと思っています。

「嫌っていい」

ここ最近、また過去に悩まされることが多く、暴飲暴食や不規則な生活をして自分を痛めつけたりして、気を紛らわせる日々が続いてしまっています。

 

その中、衝撃を受けた記事がありました。

www.j-cast.com

 

個性的な演技で人気の実力派女優、渡辺えりさんが毎日新聞で連載中のコラムで、束縛の激しい母親のことを「嫌っていい」と回答された、というものです。

 

私は、

  • 親は絶対
  • 親には絶対服従
  • 親子(夫婦)関係は主従関係

という家庭に育ちました。

 

どんなに理不尽なことをされても言われても、親の言うことに異を唱えることなど、決して許されないし考えられない、と現在まで思い込まされてきました。

その、ある意味解けない“呪い”のような刷り込みを、渡辺えりさんはきっぱりと「違う」と否定して下さったのです。

 

考えてみれば、

  • アンタのことを可愛いと思えない
  • アンタのことはどうでもいい

と言ってくる相手のことを、無理に好きになる必要もなかったのです。

 

そうか、私は親のことを嫌っていいのだ。

 

愛してもらえないのに、こちらが無理に愛さなくてよいのだ。

 

「親を嫌う」ということを肯定してもらえるだけで、こんなに気持ちが楽になるものなのか、とまさに目から鱗が落ちるようでした。

 

これからは、「親にはこんなことをされて/言われてきた、だから嫌い」と、親を嫌う自分を受けいれて生きていきたいと思います。

 

「愛される」ということ

大分前なのですが、とても気になったニュースがありました。

ironna.jp

 

とても恵まれた家庭環境、教育歴、経歴なのに、なぜポルノ業界にいらしたのだろう…、ととても気になっています。

ご本人の著作を拝見したことが無いので、是非読んでみたいと思っています。

 

それにしても、

  • 何不自由なく、

しかも

  • 何の問題もない家庭に育ち、
  • 一流大学・大学院を出て、
  • 一流企業に勤めていらっしゃるのに、

どうして不特定多数に自分の性行為を見せる仕事をされていたのだろう…、

と考えていて、自分が偏見を持っていることに気付かされます。

 

逆に言えば、

  • 不自由があって、
  • 問題のある家庭に育って、
  • 高学歴でなく、
  • 高給でもない職業に就いている

としたら、ポルノ業界にいても特に疑問はない、と思っても仕方が無い、ということになるからです。

 

こういう偏見を持った自分を、とても恥ずかしく思います。

なぜならば、私こそ、上記の条件にぴったりと当てはまっている存在だからです。

でも、ポルノ業界とは縁遠い生活を送っています。

ということは、ポルノ業界で働いている女性も私も、大きくは違わない存在だとも言えます。

 

ポルノ業界で働く彼女たちと私の違いって、一体何なんでしょう。

 

何かのタイミングさえ合えば、私もポルノ業界で働いていた可能性は、大いにあるといえます。

 

だからこそ、

  • 両親が共に著名人で、
  • 円満な家庭で愛されて育って、
  • 一流大学・大学院を卒業し、
  • 一流企業の高給取り

であり、

ごく一般的な女性とは社会的にも経済的にも、恵まれ方が少し違うように感じるこの方が、

「不特定多数に自分の性行為を見せる」ことに、どのような意味付けをされていたのか、興味を覚えているのだと思います。

 

私はポルノビデオを見る機会がなく現在に至っていますので、ポルノビデオに出演している女性が実際に性行為をしているのか、それともそう見せかけているだけなのかは知りません。

しかし、不特定多数にそう見せかけるだけでも私個人には抵抗があり、(誰も求めていませんが)絶対にできそうにありません。

 

恵まれた環境から、この方はお金のためではなく、恐らく別の目的と価値観をポルノ業界に見出していらっしゃって、

だからこそ不特定多数に自分の性行為を見せるという仕事をしていらっしゃったのではないかと思うのです。

 

この方の記事を複数読んでいて、

逆恨みをした元カレに、出演作(ポルノビデオ)を両親に送りつけられた

とありました。

普通であれば、死をも覚悟するような一大事です。

 

しかし、著名な舞踏研究者でいらっしゃるお父さまは、

それでも娘に対する愛情に変わりはない

との反応だったそうです。

また、同じく著名な文学者でいらっしゃったお母さまとは、生前は対立もあったようですが、

いい娘を一人育てた、幸せだった

との言葉を残して、天国へと旅立たれたそうです。

 

私は、高学歴でも、一流企業勤務でも高給取りでもありません。

でも、少なくともポルノビデオへの出演経験はありません。

 

なのに、両親から、一度も愛情を注がれたことがありません。

「いい娘」と言われたことも、思われたこともありません。

第一、両親に私の存在を肯定されたことすらないのです。

 

私がもし、ポルノビデオに出演したことがあったとしたら…。

私の存在自体を常に疎んじてきた両親の反応は、考えなくともわかります。

 

私が両親から愛されるには、一体どうしたら良かったのだろう。

 

この方と自分との境遇を比較し、両親に「愛される」って一体どういうことなのだろう、との思いを深くしています。