「大丈夫だよ」
ここ数年、ネット上などでも話題になっていますが、今日9月1日は、一年でも若年者(18歳以下)の自殺が最も多い日なのだそうです。
私が小さい頃、とても辛くて学校に行きたくない時期がありました。
それでも、毎日学校に行かされていました。
家庭にも学校にも、逃げ場やホッとする場はありませんでした。
その期間は、今考えると恐らく1~2年程度でしたが、当時は何十年にも思える長さでした。
先生や親を含めた周りの大人たちは、何ひとつ、してくれませんでした。
だからこそ、言いたいことがあります。
学校に行かなくったって、大丈夫だよ。
学校に行っても、嫌なことを言われたりされたりして辛いだけなら、行かなくて大丈夫。
学校以外に、ホッとするところ、楽しいところなんていくらでもあるよ。
気の合う人、信頼できる人だって、学校以外にいくらでもいるよ。
だから、大丈夫。
学校に行けない・行きたくない自分を責める必要なんてないよ。
辛くて悩んでいるのに、これ以上、自分まで責めなくていいんだよ。
大丈夫、大丈夫。
もし、このブログ記事を目に留めてくれる人がいるとしたら、何度でも伝えたいです。
大丈夫、あなたはそこにいるだけで価値がある人なんだよ。
好きな本や漫画を読んだり、映画やドラマを見たり。
まずは、自分が心地良いと感じることをしてみてね。
もちろん、何もしなくたっていいんだよ。
辛いなら、無理に何かをする必要もない。
大丈夫、あなたはいるだけで価値があるよ。
だから、自分を責めないでね。
何もしたくなくても、焦ることはないよ。
そういう時は、気にせず休憩したらいいよ。
そして何かをしてみたくなったら、楽しいと思えることを始めてみるといいよ。
辛くて嫌なことを無理にしなくても、大丈夫だよ。
あなたは、いるだけでいいんだよ。
しんどいです
もうずっとしんどくて、でもそれを吐き出せるような誰かもいなくて、限界が近くなっています。
まともな家庭に育ってみたかったとか、色々と思うことはあれど、私ももういい歳のBBAです。
何とか乗り越えなければ…、と言いつつ、これが本当に難しいのです。
だから、例えば食べ物を食べないですとか、逆にたくさん食べ過ぎるとかセルフネグレクトをして、憂さを晴らしたりしていますが、これも簡単にはいきません。
鏡に映るのは、以前に増して水分の抜けた髪をして、顔中吹き出物だらけの私です。
外出すら、気力も体力もなくてままなりません。
私は私を幸せにしてあげるために存在しているはずなのに
こんなことをしたいんじゃないのに
でも、私は私を赦してあげて、私自身を幸せにしたいです。
今まで、色々なことを親に諦めさせられてきた人生です。
自分自身の幸せすら、一度は諦めさせられました。
でもやっぱり、それだけは諦めたくない。
こんな私だけれども、存在を許されたい。
私だって、誰かに存在を肯定してもらえる日が来るかも知れない。
その望みを胸に、何とか這いつくばってやろうと思っています。
「嫌っていい」
ここ最近、また過去に悩まされることが多く、暴飲暴食や不規則な生活をして自分を痛めつけたりして、気を紛らわせる日々が続いてしまっています。
その中、衝撃を受けた記事がありました。
個性的な演技で人気の実力派女優、渡辺えりさんが毎日新聞で連載中のコラムで、束縛の激しい母親のことを「嫌っていい」と回答された、というものです。
私は、
- 親は絶対
- 親には絶対服従
- 親子(夫婦)関係は主従関係
という家庭に育ちました。
どんなに理不尽なことをされても言われても、親の言うことに異を唱えることなど、決して許されないし考えられない、と現在まで思い込まされてきました。
その、ある意味解けない“呪い”のような刷り込みを、渡辺えりさんはきっぱりと「違う」と否定して下さったのです。
考えてみれば、
- アンタのことを可愛いと思えない
- アンタのことはどうでもいい
と言ってくる相手のことを、無理に好きになる必要もなかったのです。
そうか、私は親のことを嫌っていいのだ。
愛してもらえないのに、こちらが無理に愛さなくてよいのだ。
「親を嫌う」ということを肯定してもらえるだけで、こんなに気持ちが楽になるものなのか、とまさに目から鱗が落ちるようでした。
これからは、「親にはこんなことをされて/言われてきた、だから嫌い」と、親を嫌う自分を受けいれて生きていきたいと思います。
「愛される」ということ
大分前なのですが、とても気になったニュースがありました。
とても恵まれた家庭環境、教育歴、経歴なのに、なぜポルノ業界にいらしたのだろう…、ととても気になっています。
ご本人の著作を拝見したことが無いので、是非読んでみたいと思っています。
それにしても、
- 何不自由なく、
しかも
- 何の問題もない家庭に育ち、
- 一流大学・大学院を出て、
- 一流企業に勤めていらっしゃるのに、
どうして不特定多数に自分の性行為を見せる仕事をされていたのだろう…、
と考えていて、自分が偏見を持っていることに気付かされます。
逆に言えば、
- 不自由があって、
- 問題のある家庭に育って、
- 高学歴でなく、
- 高給でもない職業に就いている
としたら、ポルノ業界にいても特に疑問はない、と思っても仕方が無い、ということになるからです。
こういう偏見を持った自分を、とても恥ずかしく思います。
なぜならば、私こそ、上記の条件にぴったりと当てはまっている存在だからです。
でも、ポルノ業界とは縁遠い生活を送っています。
ということは、ポルノ業界で働いている女性も私も、大きくは違わない存在だとも言えます。
ポルノ業界で働く彼女たちと私の違いって、一体何なんでしょう。
何かのタイミングさえ合えば、私もポルノ業界で働いていた可能性は、大いにあるといえます。
だからこそ、
- 両親が共に著名人で、
- 円満な家庭で愛されて育って、
- 一流大学・大学院を卒業し、
- 一流企業の高給取り
であり、
ごく一般的な女性とは社会的にも経済的にも、恵まれ方が少し違うように感じるこの方が、
「不特定多数に自分の性行為を見せる」ことに、どのような意味付けをされていたのか、興味を覚えているのだと思います。
私はポルノビデオを見る機会がなく現在に至っていますので、ポルノビデオに出演している女性が実際に性行為をしているのか、それともそう見せかけているだけなのかは知りません。
しかし、不特定多数にそう見せかけるだけでも私個人には抵抗があり、(誰も求めていませんが)絶対にできそうにありません。
恵まれた環境から、この方はお金のためではなく、恐らく別の目的と価値観をポルノ業界に見出していらっしゃって、
だからこそ不特定多数に自分の性行為を見せるという仕事をしていらっしゃったのではないかと思うのです。
この方の記事を複数読んでいて、
逆恨みをした元カレに、出演作(ポルノビデオ)を両親に送りつけられた
とありました。
普通であれば、死をも覚悟するような一大事です。
しかし、著名な舞踏研究者でいらっしゃるお父さまは、
それでも娘に対する愛情に変わりはない
との反応だったそうです。
また、同じく著名な文学者でいらっしゃったお母さまとは、生前は対立もあったようですが、
いい娘を一人育てた、幸せだった
との言葉を残して、天国へと旅立たれたそうです。
私は、高学歴でも、一流企業勤務でも高給取りでもありません。
でも、少なくともポルノビデオへの出演経験はありません。
なのに、両親から、一度も愛情を注がれたことがありません。
「いい娘」と言われたことも、思われたこともありません。
第一、両親に私の存在を肯定されたことすらないのです。
私がもし、ポルノビデオに出演したことがあったとしたら…。
私の存在自体を常に疎んじてきた両親の反応は、考えなくともわかります。
私が両親から愛されるには、一体どうしたら良かったのだろう。
この方と自分との境遇を比較し、両親に「愛される」って一体どういうことなのだろう、との思いを深くしています。
親がしんどい
最近、また過去の記憶に苦しむことが多くなりました。
そこで気付いたのですが、私がしんどかったのは母だけではない。
父も酷く私を苦しめ続けています。
つまりは、親がしんどい。
親という存在は、一般的にはとても温かく優しく、頼れる存在なのだそうです。
しかしながら私にとっては、その様な存在ではありません。
どんなに困っても、助けてもらったことはありません。
現在に至っても常に私を突き放し、罵り、馬鹿にし、やる気を削ぐ存在であり続けています。
「家庭」という場所も、私にとってはリラックスとは程遠いところでした。
どうやったら、温かく優しく、そして頼れる親と家庭に出会えたのだろう。
もういい歳となった現在では、もはや出会いようもありません。
また、
「だったら、自分がそのような理想の親になって、理想の家庭を作ればいいじゃないか」
と思われる方もいらっしゃるでしょう。
しかし私には到底無理です。
きっと自分がされたように、わが子を突き放し、嘲り、罵り、やる気を削ぐ言葉ばかり投げつけてしまうかも知れない。
そう思うからこそ、怖くて家族を持つことなど、考えたことがありません。
どちらにせよ、もう子どもを持つことは諦めた年齢ですが、
負のスパイラルを私で断ち切ることができたのは、不幸中の幸いなのだ、
と思うようにしています。
おやつがわり
これを知ったのは割合最近のことなのですが、摂食障害って母娘関係に問題を抱えている人に罹患率が高いのだそうです。
確かに、摂食障害に悩む方には女性が多い気がします。
私の場合、摂食障害までは行きませんでしたが、ずっと食事を美味しいと思ったことがなく、フラフラになって身体がしんどいから仕方なく食べる、というのが食事の意味でした。
例えば、高校生から大学にかけては食べられないことが多く、常に真っ直ぐに歩けませんでした。
自分では真っ直ぐに廊下を歩いているつもりでしたが、気が付けば壁に身体を擦り付けながら歩いている、という状態でした。
太れませんでしたが、見た目にハッキリと目立って悲壮感が漂うほど痩せてはいませんでした。
でも、細い身体が好きで、もっともっと痩せて身体が無くなってしまいたい、とも思っていました。
やせ細っている身体こそ完璧で素晴らしい、と当時は本気で考えていました。
食事について、私が一番辛かったのは高校時代でした。
学力トップ校に在籍していましたので、毎日勉強へのプレッシャーが容赦なくありました。
毎日試験がありましたし、その試験に合格できないと、懲罰のようなものがありました。
同級生たちとも常に競争しなければなりませんでしたので、毎朝5時には起きて登校していました。
私は、朝早く起きて、誰にも邪魔されずにひとりで自由に使える時間が大好きでした。
他の家族が起きてくる前のつかの間の時間、ひとりで朝食と身支度を済ませて登校するのが理想でしたが、それを母は許してくれませんでした。
母本人にしてみれば、きっと早朝ひとりで娘が登校準備をするのは寂しかろう、との思いやりだったのかもしれませんが、私が起床して身支度を始める音を聞くや、母も起きてきて、毎朝父への不満を聞かされました。
正直、当時の私にしてみれば拷問のような時間でした。
それでなくとも、毎日が勉強へのプレッシャーとストレスでいっぱいいっぱいでした。
その上毎日、母から父への文句を聞かされるのです。
「うん…、うん…」と聞きながらも、なぜ父本人に言わないのか、と思っていました。
今思えば、母は父への不満があっても、離婚して(離婚されて)自分の力で生活しようという気概はなかったのだと思います。
ちょっと変わっているが母が可愛いがってやまない長子は、人の話を聞くタイプではありませんでした。
よって、母が自らの気を晴らすためには、私を不満のはけ口にせざるを得なかったのだと思います。
ただでさえ勉強への強いストレスに曝されていたのに、恐らく、当時の私の身体は耐えられなかったのだと思います。
気付けば、朝食はほとんど食べられなくなり、毎日酷い胃痛に悩まされるようになっていました。
“女子高生”という、最もキラキラして楽しいはずの時代が、私にはほとんどありませんでした。
胃の痛みで四六時中脂汗が出て、時にはうずくまってしまうほどで、お洒落なメイク道具の代わりに、缶に入った粉状の胃散薬を缶ごと持ち歩いては服用していました。
あの有名な胃散薬の一番大きい缶を持ち歩く、ある意味異常な“女子高生”でしたが、その大缶の胃散薬もすぐに飲み終えて、何缶も買い足しました。
すると当時、飴やラムネのようにチュアブルで服用できる胃薬が発売されました。
私はそのテレビCMを見るや薬局に買いに行き、缶よりも携帯性に優れたそのチュアブル胃薬を、それこそおやつがわりに毎日山のように食べていました。
しかし、それでも私の胃痛が治まることはありませんでした。
高校生だった私が朝食をほとんど食べなくなり、通学鞄に山ほど胃薬を持ち歩いていたことには母も気付いていたはずですが、何も言われたことがありません。
きっと、私の健康など心底どうでも良かったのだと思います。
山のように胃薬を持ち歩く娘を前に、母は変わることなく、毎日繰り返し、父への不満を聞かせました。
大学に入ってからも、メイクポーチには必ず胃薬が入っていました。
いい歳になってようやく、胃薬を持ち歩くことはなくなりましたが、今、またストレスで胃薬を飲み始めました。
昔とは逆で、今度は、胃がはち切れそうになるまで食べて、食べて、食べ続けてしまいます。
胃が痛くなると胃薬を飲み、少し痛みが引くとまた食べる、その繰り返しです。
高校生だった頃とは真逆で、醜く膨れ上がる身体を嫌悪しつつも、食べるのを止められません。
今の私は、高校生とは随分とかけ離れた年齢になりましたが、未だに変われていません。
また同じことの繰り返しです。
そんな自分を、許してあげたいのに許せずに苦しんでいます。