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母がしんどい

親子関係(特に母娘関係)って難しい。無条件に子を愛せる母親ばかりではないし、親からの愛情は無条件に注がれるものでもない。どうして母娘関係は上手く行かないことが多いのか。母の過去の行動から「母娘関係」の分析を試みます。

まずは自分から

気楽に雑感

4月1日の今日から、新しい生活を始めた方、新しい環境・物事に挑戦していらっしゃる方もたくさんいらっしゃるのではないかと思います。

今日は視点を変えて、以前相談を受けたことについて、気ままに綴ってみたいと思います。

私は無駄に歳も経験も重ねていますから、色々な方から相談を受けることが多々あります。

以前、「誰も自分に話しかけてくれない」、「クラスに馴染めない」、「クラスのみんなが話しかけにくい雰囲気だ」、と悩みを持つ方から、相談を受けたことがあります。

私はそれを聞いて、少し不思議に思ったのを覚えています。

というのは、その方はあくまでも、

  • 他の人から自分に話しかけてほしい
  • 自分から話しかけるのは嫌だし、出来ない

とおっしゃったからです。

だったら、クラスの雰囲気が多少悪かったり馴染めなくても、仕方がないのではないかな、と思ったのです。

本当にクラスの雰囲気が気に入らないのであれば、自分が変わるしかありません。

自分は変えられるけれども、他人は変えられないからです。

また、その方はクラスメイトたちについて、

  • いつも張りつめた表情をしている
  • 笑顔がない

とおっしゃっていたのですが、実はそれって、自分のことでもあると思うんです。

自分の学生時代を思い出しても、楽しいクラスの時には、クラスメイト皆が明るい表情をしていました。

残念ながら暗いクラスには馴染みがないのですが、それは私自身がいつも笑っていたからかな、と思います。

私は、家族の中ではあまり楽しい思いをしていませんでしたが、ご近所の小母さま方には、本当に良くしていただきました。

そこで、自分が楽しくなれるものを見つけていつも気持ちを明るくしていれば、周りにも自然と笑顔が集まるものだ、ということを学びました。

今でも、男女・年齢・民族問わず、「話しかけやすい」と言っていただけるのも、幼少期に積んだ経験が功を奏しているのかな、とも思っています。

ですからその方には、

  • 「人は鏡」、クラスメイトの表情=自分の表情
  • まずは自分から、笑顔で話しかける

ということを僭越ながらアドバイスしました。

また、どうしても自分から話しかけることができないのであれば、

  • 「自分が話しかけやすい」と思う人の雰囲気と表情を真似する
  • 「自分がされて嬉しいこと」を他の人にもする

ことを試しては、とお伝えしました。

でも、基本的には、自分が変わろうとしない限り、何も変わらないんです。

他の人に求めてはいけないと思います。まずは自分に求めて、自分に足りない部分を自分で補完していかなければ。

また、古今東西・老若男女・民族問わず、「されて嬉しいこと」と「されて嫌なこと」は普遍的で、変わりません。

自分が誰かに、「されて嬉しいこと」を繰り返ししていれば、いつの間にかその“嬉しいこと”は返ってくるものです。

もちろん、見返りを求めてやっていたわけではありませんが、今振り返ってみても、そうなんじゃないかな、と思うことが多々ありました。

また、人間関係も恋愛も、教科書はありません。

自分で実際に経験して、体得して行くものです。

焦らずに、自分にあった方法を見つけていくのも、悪くないと思います。

 

今日は視点を変えて、偉そうにも綴ってみました。

新しいお母さん

過去の記憶 母娘不仲 気ままに分析

今日は、少し過去の記憶を記しておきたいと思います。

私の一番古い記憶は1歳半から2歳くらいの記憶で、そこから現在に至るまでの記憶があります。というか、幼少期の記憶が一番鮮明なんですよね。

多分、その時期にあまり楽しい記憶がないので、余計に印象深く心に残っているのかもしれません。

特に3歳以降の出来事は、今でもはっきり脳裏に焼き付いています。

両親にとって私は長子ではなく、次子です。私が3歳前後の頃、長子は小学生になるかならないかくらいの年齢です。

長子は、今考えても少し変わった子どもでした。恐らく、母にとっては育てにくい子どもだったのだと思います。

当時、“育メン”なんて言葉はありませんし、結婚後働く女性も少ない時代で、私の母もご多分に漏れず専業主婦でした。

育児や家事など家庭内のことはもちろんのこと、ご近所とのお付き合いまで、すべてが母に係る仕事でした。

出身地ではない土地にやってきて、地元の勝手も習慣もわからず、周囲に知り合いのいない中、長子を出産し育てる。しかも、肝心の夫は何ひとつサポートしてくれない。弱音を吐ける相手もいない。

加えて、長子はどう説明したらよいのかわからないが、どうも育てにくい。しかし、長子だから比較する対象もないし、育児はこのようなものなのかも、と思い込もうとする。

やがて次子を出産すると、長子が完全に幼児返りしてしまい、何ひとつ自分で出来なくなった。生まれて間もない次子の世話をしようとすると、長子が引き付けを起こして白目をむき、泡を吹いて倒れてしまう。でも、誰も助けてくれないんです。自分の夫でさえも。自分の子どもでもあるのに、知らん顔なんです。

ーーーーこんな生活、誰だって嫌です。

こんな状況の中、私の両親が下した結論。それは、「次子はいないものとして扱う」でした。

まだひとりでトイレも食事もできない頃は、何とか親が世話を焼いてくれていたことと思いますが、それができるようになると、放置されました。

うっすらとしていますが、長子を両親でチヤホヤしているのをボーっと眺めている記憶が残っています。私は確かに存在しているのですが、家庭内では存在していない。

そんな期間が、長子の状態が落ち着くまで、数年間は続きました。

私と長子が幼かった頃の母の身体的・精神的ストレスは相当のものがあったと思います。

しかし、親というものは不思議なもので、手の掛かる子どもほど可愛く感じるのだそうです。

だから、長子はどんなに手が掛かろうと、育て難かろうと、常に両親の愛情が注がれる対象であり続けました。

対する私は、誰も何も世話を焼いてくれないので、何でも自分でするしかありませんでした。

自分で出来ないことは、大人にやってもらえるよう、上手くお願いしてやってもらう必要がありました。すると、自然と言葉と交渉術が発達します。よって、私は年の割には口が達者な、所謂“ませた子ども”だったと思います。

しかし、これが母の大いなる不興を買っていました。

  • 子どもの癖に可愛げがない
  • 生意気だ
  • 大人に媚びを売っている

等々、目を吊り上げ、口を尖らせた例の憎々しい表情で、常に責め立てられ続けました。長子と異なり、私は母の憎しみと不満をぶつけられる対象であり続けました。

とはいえ、当時の私としては仕方がなかったのです。

「イライラするから」「顔を見たくないから」と、よくひとりで外に出されていました。文字通り締め出されていたので、何度ドアを叩いても、必死に背伸びをしてドアノブをガチャガチャやっても、母は決して出てきません。

仕方なく近所の公園に行っていましたが、まだ幼稚園にも通っていない2~3歳児がひとり遊びするのにも、限界があります。

また、行動範囲も限られてくるので、結局は近所の小母さん方に相手をしてもらうほかありませんでした。

「またひとりで遊んでいるの?」「家に寄ってらっしゃいよ!」そう声を掛けてもらうと、小母さんたちの邪魔をしないよう極力お利口にして、今考えるとかなりの長時間、お宅にお邪魔していました。

それでも、いつも代わる代わる声を掛けていただいて、お宅にお邪魔させてもらえていたのは、近所の小母さん方も、私のことを憐れんでくれていたからなのでしょう。関心を注いでいただいたことに、今でも深く感謝しています。

この頃、母のイライラは限界に近かったのだと思います。でも、何度も言うように、頼れる人のいない土地で、夫ですら何ひとつしてくれないんです。

「お前が我慢すればいいんだ」「我慢できないお前が悪いんだ」と言い争っていた記憶が、朧げにあります。

育て辛い長子とまだ手の掛かる幼児を抱えて、母の精神状態は限界だったのでしょう。予想ですが、もしかしたらこの時期の両親の関係は崩壊寸前だったのかもしれません。

この時期、父が私に「新しいお母さんが来るぞ」と言っていた記憶があります。つまり父は、離婚して別の女性と再婚してもいいんだぞ、と母を脅していたのです。

当時の私は、それを聞いて本当に嬉しかったのを覚えています。私は家庭内では「不在の存在」で、常に母から憎しみと不満を投げつけられる存在だったからです。

「新しいお母さんが来る」と聞いて、もう家庭内で“いない者”として扱われることもないし、ひとりで一日を過ごさなくても済む。窮屈な思いをしてご近所の小母さま方に相手をしてもらわなくても、「新しいお母さん」が可愛がってくれるんだ!

一気に、私の周りの物事が輝きを持ったように感じました。

やった!ようやく可愛がってもらえる!

そう思い、「新しいお母さんが来るんだよ!」と喜び勇んで近所に言って回っていましたし、実際に母に「いつになったら新しいお母さんが来るの?」と聞いてもいました。

今考えると、何て残酷なことをしたのだ、と思います。

しかし、当時の私は「新しいお母さん」との楽しい生活を、毎日本気で夢見ていました。

それほど、私と母の関係は、既に異質なものとなっていました。

お久しぶりです

気楽に雑感

ここをすっかり放置してしまっています。

私生活で色々としんどいことがあると、母や過去と向き合うのもしんどくなります。

記憶にも蓋をしてしまいたいのですが、それだときっとずっと楽になれないままなんじゃないか。

きちんと向き合って消化しなければ、とは思うのですが、まだその気になれません。

しかし、ありがたいことにこんなブログもアクセスはゼロじゃない時もあるんですね。本当にありがたいです。

また、ここで過去を少しですが吐露することによって、以前と比べて精神的に楽になって来ました。

“心のデトックス”とでも言うべきなのでしょうか、私には良い効果をもたらしてくれています。

気持ちを整えて、またきちんと母と過去に向き合いたいと思います。

日本社会と偏重社会

気ままに分析 母娘不仲

それにしても、ネットを見ていると親子関係、特に母子関係に悩む人が私を含め多いと感じます。しかも、「娘」の立場で悩んでいる人が多いように感じるんです。

つまりは、母娘間の「女 vs 女」の関係が上手く行かないことが多い。

これって、なぜなんでしょうか。

私は、女性へのアンペイドワーク(unpaid work:無報酬/無賃金労働)の偏重が一因なんじゃないかと思っています。

  • 女性は、家事育児介護
  • 男性は、社会に出て賃金労働

というのが従来の日本の一般的な姿でした。

それが、1985年のいわゆる「男女雇用機会均等法」*1の制定によって、少しずつ変化が生じました。

 女性が社会進出した結果、上記の性別による固定的な役割分担にも変化が生まれます。

そして、1999年に施行された「男女共同参画社会基本法」によって、上記の性別による固定的な役割分担に対し、もっと柔軟に考えましょうという方針が打ち出されました。

つまり、必ずしも男性だけが家計を担わなくてもいいし、同時に必ずしも女性だけが家事育児介護を背負わなくて良い。お互いの負担を少しずつ下ろして、皆が同じような負荷になるようにしましょうよ、というわけです。

しかし、実際にはどうなんでしょう。

女性の家庭内での負担が減ったか、というと、そうではありません。

よって、家庭内のアンペイドワークは女性にその責任が偏ったまま、女性はさらに社会進出まで果たさねばならなくなったのです。

アンペイドワークと女性

アンペイド(unpaid:無給の;無報酬の)と言われるくらいですから、家事も育児も介護も、無報酬です。賃金をもらえる労働ではありません。

しかも、労働なのに誰からも感謝されないし、「当たり前のこと」と思われてしまうんですよね。家事育児介護って、確かに重労働で大変です。責任も重大です。

でも、「女性ならやって当然」としか思われていないんです、悲しいことに。

家じゅうのあらゆる出来事をすべてひとりで取り仕切る、人ひとりを育てる、人の最期を迎えるお世話をする…どれも否応なしに高ストレスな仕事です。それでも、女性がひとりで全部背負わなければならない。

誰が考えたって、重荷です。嫌です。重圧に押しつぶされそうになります。

「私だけの家庭じゃないのよ」

「あなたの子供でもあるのよ」

「あなたの親でしょ」

などなど、文句だって言いたい。でも、それを夫にはぶつけられない。

なぜなら、

「俺は外で働いている」

「お金を稼ぐことの方が偉い」or「(俺より)金も稼いでいないくせに」

「親を看取るのは女性の仕事だろ」

などと言われてしまうから。余計に辛くなるだけです。

「母」と「娘」

これでは、ストレスは溜まる一方です。すると、人間はどうしても自分より弱いものにそのはけ口を見出します。

それが、「母」にとっての「娘」なんじゃないかな、と私は理解しています。

「息子」にはそのはけ口は向かい辛い。「息子」には、異性である分「子」という感情が湧きやすく、愛情も沸きやすい。また、いずれ賃金労働に従事する身であり、自分の辛さをぶつけてもそのうち自分(の稼ぎ)を超越してしまう。

対する「娘」には、「子」という感情の前に、「同性」という感情が出てきやすい。つまりは「ライバル」という感情が湧いてくるのではないか。

端的に言えば、「母」は異性である「息子」とは同じ土俵に立てないが、「娘」とは性別条件が同じである故同じ土俵に立って戦える。

なまじ同性なので、母娘関係は得てして濃密になりがちなんじゃないかと思います。

だから、「母 vs 娘」という、親子関係における「女 vs 女」という対立の構図が生まれやすいのではないか、と分析しています。

 

母娘関係をこのように理解してから、段々と過去の母の行動が理解できるようになりました。

*1:正式には「雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等に関する法律」、1986年4月施行

雨音

気楽に雑感

外は雨。

部屋にいる分には、雨の日は大好きです。色々な音を遮ったり、聞かせたりしてくれるから。

雨音が心地良いので、寒いのですが窓を開けてその音を楽しんでいます。

ここ数日、本当はやるべきことが山積しているのにまったく手つかずで、昔の経験ばかり思い出して、過去の記憶に苦しんでいます。そして、そんな自分をゆるせずにいます。

確かに母との関係はしんどかった。

今でもしんどかったとしか言いようのない関係ではありますが、きっと私ばかりがこんな目に遭っているのではないと思います。

私の知る限り、日本にはしんどい母娘関係に悩んだ人、苦しかった人、辛い人が少なくないようです。

これってどうしてなんでしょう。

私は、これに対してある仮説というには大袈裟かもしれませんが、ひとつの予測を持っています。

ここでは、私の母娘関係を例に取り上げながら、その行動の原因を分析し理解して行きたいと思っています。

読んでいて、決していい気持ちのするものではないと思うのですが、こういう親子関係もあるよ、ということと、同じ経験を持つ方と感情を分かち合えるといいな、と思っています。

「無償の愛」はない

過去の記憶 母娘不仲

「お母さん」と聞いて、普通の人は何を思い描くのでしょうか。

エプロンをして、微笑んでいる姿?

それとも割烹着を着たサザエさんに出てくるフネさんのような姿?

キッチンで料理をする姿?

編み物をしている姿?

どちらにせよ、慈愛に満ちた姿が多いのではないでしょうか。

私の場合は、目を吊り上げ、口を尖らせ、憎々しげに私を睨み下ろす姿です。

「可愛くない」

「あっちへ行って」

「産まなきゃよかった」

「何でアンタの面倒なんか」

等々、セリフ付きで蘇ってきます。

実際、母の笑顔がどのようであったか記憶がぼんやりとしていて、思い出そうとしてももうそれすらできません。

私の最も古い記憶は、確か1歳半から2歳くらいの時の記憶なのですが、この頃にはもう、母の顔は怒りと不満、そして憎しみに満ちたものであったと思います。

習慣的に、「無償の愛ってないんだなぁ」と体得したのもこの頃でした。

思えばこの記憶が、母娘のしんどい関係の始まりでした。

はじめまして

自己紹介

みみずくと申します。

幼児期に早くも親子関係でつまづき、以降ずっと悩んできました。

しかし、私ももういい年の大人(しおしおのババア♀です)になり、された仕打ちを赦し、前に進みたいと思うようになりました。

どうにかして過去の自分と親を赦し、新しいステップを踏み出す勇気を得るため、まずは少しずつ過去を振り返って行きたいと思います。